杜甫《戲為六句,六首之五理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。


2013年8月4日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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戲為六句,六首之五 蜀中転々 杜甫 <517>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2780 杜甫詩1000-517-750/1500

 

 

1戲為六句,六首之一

(戲れということで六句をつくってみた,六首の一番目)

庾信文章老更成,凌雲健筆意縱橫。

北周の庾信はその詩文章は老年になってからさらに成熟している、雲をもしのぐほどの健筆、その意は縦横無尽にのべられている。

今人嗤點流傳賦,不覺前賢畏後生。

今の時代の軽薄文士たちは伝来の庚信の賦をあれこれと鼻先で笑うなどしている。孔子が「後生長るべし」といわれた意味を知っていないのは残念なことであり、庚信は後生ではあるが畏るべき人なのである。

 

 

2 戲為六句,六首之二

(戲れということで六句をつくってみた,六首の二番目)

楊王盧駱當時體,輕薄為文哂未休。

初唐、則天武后の時代に楊・王・盧・駱の四傑が華麗な詩文を作った。そのころの文体をいまの軽薄文士どもは小馬鹿にしていることを批判する。

爾曹身與名俱滅,不廢江河萬古流。

汝ら皆はからだも、名も共に滅びてしまうものであるが、四傑の作品は長江、黄河の大河が万古濠濠として流れてつきないように滅びることなどないものなのである。

つきぬごとくすたることのないものなのである。

 

3戲為六句,六首之三

(戲れということで六句をつくってみた,六首の三番目)

縱使盧王操翰墨,劣于漢魏近風騷。

たとえば四傑に詩文を作らせたとして、それは漢魏が『詩経』、「楚辞」に近いおもむきがあるのとくらべれば劣るにしても、どうして四傑の作品はたいしたものではないか。

龍文虎脊皆君馭,塊過都見爾曹。

竜文虎青のすがたをした駿馬のごとくみな人の馭すべき乗りものたるに十分なるものである。而してそれをわらう汝らこそは馳せて国都をすぐるとき塊を歴てつまずく駕馬のごとく、そのときはじめて汝らの驚馬たるを見うるならん。

 

4 戲為六句,六首之四

(戲れということで六句をつくってみた,六首の四番目)

才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。

今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。

或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。

蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

 

 

5 戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

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『戲為六
句,六首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

戲為六句,六首之五

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

 

 

(下し文)

今人を薄んぜず古人を愛せば、清詞麗句必ず隣を為す。

稿かに屈宋を攣じ宜しく駕を方ぶべし、恐らくは斉梁と後塵と作らん。

 

 

(現代語訳)

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

 

 

(訳注)

5戲為六句,六首之五

(戲れということで六句をつくってみた,六首のさん五番目)

古今を併せてしかも理想をたかくもつべきことをいった。

 

不薄今人愛古人,清詞麗句必為鄰。

近代の人をさげすんでみる古代の人をも愛するときは清詞麗句は必ずわが手もとちかくにあるものである。

○薄 さげすんでみること。

○今人 比較的近代の人をさす、四傑の如きもこれである。

○古人 庾信をはじめ六朝以上の人々はみな古人である。

○為隣 わが手もとぢかくにあることをいう。

 

竊攀屈宋宜方駕,恐與齊梁作後塵。

しかし理想はたかくすることがよく、内心には屈原、宋玉、以上のところに攣じ、彼らとくつわをならべて馳すべきである。理想のもちかたがひくければ斉梁時代にくらべて却ってその後塵を拝むに終るのおそれがあるのである。

○攀 古代の人ゆえたかくよじのぼるといった。

○屈宋 屈原、宋玉。

〇方駕 車をひく馬がかじ棒をそろえてはしるようにする。

○與齊梁 与とは「於て」というのに似る、比較の辞である。

○作後塵 後塵とは車がはしるとき風下におこるちりほこりをいう、後塵と作るとは後塵を拝する人となることをいう、斉・梁は六朝の中期で文学が最も華麗綺靡となり、しかも雄健の風が衰えた時期である。
sas0033