杜甫 嚴公仲夏枉駕草堂 成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

 

2013年8月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。   
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孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。   
李商隠詩 
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嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500



詩 題:
嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

作時:762 寶應元年 杜甫51歳 

掲 載; 杜甫1000首の532首目-場面中

杜甫ブログ1500回予定の-766回目   40865

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌

作者:杜甫                        

全唐詩・卷227

草堂本一作鄭公枉駕攜饌訪水亭。

 

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。
看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。 

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

花鴨003








 

『嚴公仲夏枉駕草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴公仲夏枉駕草堂、兼攜酒饌、得寒字。

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

百年地闢柴門逈,五月江深草閣寒。

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。
 

 

(下し文)

(嚴公 仲夏に 草堂に枉駕し、兼ねて酒饌を攜える、寒の字を得たり)

竹裏 行廚 玉盤を洗い,花邊 立馬し 金鞍を簇【むらが】る。

使者 徵求【ちょうきゅう】の急なるに關するに非らず,自ら識る將軍禮數【れいすう】の寬なるを。

百年地闢【ちへき】柴門逈【はる】かに,五月江深うして草閣の寒。

 漁舟を看弄して白日に移る,老農 何んぞ交歡を罄【つく】す有らん。

 

 

(現代語訳)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

 

花鴨003 

(訳注)

嚴公仲夏枉駕草堂,兼攜酒饌(得寒字)

(厳武中丞が五月にわざわざ草堂をたずねてくれ、そのうえ酒や食物まで持参でやってきてくれたときに作った詩。但し韻を分けて自分は寒の字を得てつくったのである。)

宝応元年五月の作。

○厳公 厳武中丞公。

○仲夏 五月。

○饌 食物。

○得寒字 主客共に詩を賎し、その用いる韻字に「寒」の字があたったこと。本詩は【頸聯】第六句に寒の字を押韻している。

 

【首聯】

竹裏行廚洗玉盤,花邊立馬簇金鞍。

嬉しいことで、竹林のなかで台所方が玉盤を洗っている、浣花渓草堂の周りに花がさいいていて金鞍をむらがらせて馬が立ちならんでいる。

○竹裏 草堂の庭のたけやぶのなか。

○行厨 携帯してきた台所。

○玉盤 玉の大皿。

○立馬 馬は従者の騎馬。

 

【頷聯】

非關使者徵求急,自識將軍禮數寬。

成都尹で天子の使者である厳武がたずねてくれたのは急に自分を召し出そうというような事に関してではないはずだ。かれが自らここまできてくれるというのはまったく自分如き無作法ものを寛大にもてなしてくれるというに外ならぬことであることをわたしは認識している。

○使者徴求急 使者は厳武をいうが、厳武は成都尹で地方官であるから天子の使者であるということで、徴求は賢者をめし求めることである。厳武は杜甫を成都の書記官に向かえようということであった。 「荘子」(譲王)にみえる顔闔の故事を用いる、魯に顔闔という賢人があり、魯君よりめしだしの使者がやって来たとき、顔闔がお答えしていうのは、もし聞き誤りがあってはすまぬゆえ、願わくはもう一度かえって果たして顔闔をお召しになっておられるのかどうかただされよと。使者がもどって来たところが、顔闔はそのまによそににげ去った。

○将軍 厳武は成都の市長であるから将軍という。

○礼数寛 礼数とは礼儀をいう、すべて礼儀には階級あるゆえ度数はつきものである、故に礼数という、寛とは人に求めるのに厳重でないことをいう。

 

【頸聯】

百年地辟柴門迥,五月江深草閣寒。

私の人生、百年の生涯をおくるのは、この片田舎でこの柴門の近辺である。五月にあたって濯錦江の水は深くして草堂が寒さを感じるほどなのである。

〇百年 生涯をいう。

○他僻 僻はかたよること。片田舎で。

○柴門迥 残りの人生をこの柴門のまわりで過ごすことと認識している。柴門を帰るところとしている。

〇五月 題の仲夏をいう。寒に対しての仲夏である。

○江 濯錦江。

○革閣 草堂。

○寒 仲夏ゆえ本来は寒くはないのだが竹林中に在って清江の深い水にのぞんでいることで涼しいを飛び越えて寒くおぼえるというのである。

 

【尾聯】

看弄漁舟移白日,老農何有罄交歡。

ここで厳武は日がな一日舟遊びに興じており、きょうの日をわたしは見ているだけですごした。歳をとり、農業しかできないこの老人がなんで天子の使者たるものと嬉しさを交歓できるというもったいないことである。

〇看弄 看るのではあるが無駄なものにしている。杜甫は厳武が舟遊びをしているのをただ見るだけであるということ。

○漁舟 魚をとる釣舟をいう、厳武がふなあそびをするのである。

○移白日 移白日は白日移とおなじ、一日の時間のたつことをいう。

○老農 としよりの百姓、杜甫自身をいう。

○交歓 たがいによろこぶ、末句は謙遜の辞である。