送梓州李使君之任 杜甫自らの注として「今は亡き初唐の陳子昂拾遺は,射洪の人であり,ここで見る詩篇の末尾に述べられているのが有る。ここにある書籍には再三、漢の黃霸丞相についてかかれている。能くその名声を為さしめたのは自らが太守を治めた穎川のことである。


2013年8月27日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 
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送梓州李使君之任 蜀中転々 杜甫 <535-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2895 杜甫詩1000-535-#1-773/1500

 

 

 

作者: 杜甫  寶應元年  762  51 

卷別: 卷二二七  文體: 五言古詩 

詩題: 送梓州李使君之任

自注:故陳拾遺,射洪人也,篇末有云。

 

作地點: 綿州(劍南道北部 / 綿州 / 綿州

及地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)     

     蜀道 (劍南道北部 益州 成都)     

    射洪 (劍南道北部 梓州 射洪)     

交遊人: 李使君 

 

 

送梓州李使君之任

(梓州にて李使君が任にゆくを送る。)

自注:故陳拾遺,射洪人也,篇末有云。

杜甫自らの注として「今は亡き初唐の陳子昂拾遺は,射洪の人であり,ここで見る詩篇の末尾に述べられているのが有る。
#1

籍甚黃丞相,能名自潁川。

ここにある書籍には再三、漢の黃霸丞相についてかかれている。能くその名声を為さしめたのは自らが太守を治めた穎川のことである。

近看除刺史,還喜得吾賢。

近ごろになって除刺史とであったが,還た喜ぶべきことであり、それは吾らに賢者が得られたということでもある。
五馬何時到,雙魚會早傳。

太守に迎えられ、五頭立ての馬車で何時ここに到着したのであろうか。文章、詩賦が立派であることは早くから伝わっていたことだろう。

老思笻竹杖,冬要錦衾眠。

年老いてきて思うことは笻竹でつくった杖が必要であり、冬になったら錦衾のふとんで眠るひつようがあるのだ。

#2

不作臨岐恨,惟聽舉最先。

火雲揮汗日,山驛醒心泉。

遇害陳公殞,於今蜀道憐。

君行射洪縣,為我一潸然。

 

(梓州にて李使君が任にゆくを送る。)

 自らの注:故陳拾遺は,射洪の人なり,篇末に云う有り。

籍 甚【いかな】る黃丞相なりや,能く名さしめ自ら潁川とす。

近くに看るは除刺史を,還た喜ぶは吾が賢を得るを。

五馬 何時に到る,雙魚 早に傳うるを會う。

老いて思うは 笻竹の杖を,冬に要うは 錦衾の眠。

 

臨岐の恨むを作らず,惟だ聽うは最先に舉ぐるを。

火雲 汗日を揮い,山驛 心泉に醒む。

害に遇い陳公の殞,今に於いて蜀道の憐。

君は行け 射洪縣に,我為は一び潸然たり

白蘋005 

 












『送梓州李使君之任』 現代語訳と訳註

(本文)

送梓州李使君之任

  自注:故陳拾遺,射洪人也,篇末有云。

#1

籍甚黃丞相,能名自潁川。

近看除刺史,還喜得吾賢。

五馬何時到,雙魚會早傳。

老思笻竹杖,冬要錦衾眠。

 

  

(下し文)

(梓州にて李使君が任にゆくを送る。)

 自らの注:故陳拾遺は,射洪の人なり,篇末に云う有り。

籍 甚【いかな】る黃丞相なりや,能く名さしめ自ら潁川とす。

近くに看るは除刺史を,還た喜ぶは吾が賢を得るを。

五馬 何時に到る,雙魚 早に傳うるを會う。

老いて思うは 笻竹の杖を,冬に要うは 錦衾の眠。

 

 

 

(現代語訳)

(梓州にて李使君が任にゆくを送る。)

 杜甫自らの注として「今は亡き初唐の陳子昂拾遺は,射洪の人であり,ここで見る詩篇の末尾に述べられているのが有る。

ここにある書籍には再三、漢の黃霸丞相についてかかれている。能くその名声を為さしめたのは自らが太守を治めた穎川のことである。

近ごろになって除刺史とであったが,還た喜ぶべきことであり、それは吾らに賢者が得られたということでもある。

太守に迎えられ、五頭立ての馬車で何時ここに到着したのであろうか。文章、詩賦が立派であることは早くから伝わっていたことだろう。

年老いてきて思うことは笻竹でつくった杖が必要であり、冬になったら錦衾のふとんで眠るひつようがあるのだ。

くちなしの実01





 

 

(訳注)

送梓州李使君之任

(梓州にて李使君が任にゆくを送る。)

自注:故陳拾遺,射洪人也,篇末有云。

 杜甫自らの注として「今は亡き初唐の陳子昂拾遺は,射洪の人であり,ここで見る詩篇の末尾に述べられているのが有る。

 

籍甚黃丞相 ,能名 自潁川

ここにある書籍には再三、漢の黃霸丞相についてかかれている。能くその名声を為さしめたのは自らが太守を治めた穎川のことである。

・「黃丞相」語義類別:黃霸(漢)。黄 覇(こう は、? - 紀元前51年)は、前漢の人。黄覇は民を治めることにかけては漢が立って以来の筆頭であると言われている。淮陽郡陽夏の人だが、豪傑で人を使役していたことを理由に雲陵に移住させられ、後に杜陵に移住した。最初は淮陽で游徼をしていた。人相見と共に外出した際、人相見はある巫女を見て「あの女性は富貴となるであろう」と言った。黄覇はその巫女を妻とした。

黄覇は律令を学び、武帝末に銭を納入して官を与えられ、侍郎謁者となった。しかし兄弟が有罪となり罷免された。その後、また穀物を納入して左馮翊の卒史を与えられた。左馮翊では資産で官を得た彼を優遇せず、郡の銭や穀物の計算をやらせたが、帳簿は正しく、清廉であると評判となった。黄覇は人の心を推察し法律にも明るく、しかも温和であり、人々を統御することに長けていた。河東均輸長、河南太守丞と出世し、太守には信任され、民や吏は彼を愛し尊敬した。

武帝が死亡し、昭帝の時代となっても地方の統治は法律を厳しく適用することが多かったが、黄覇だけは緩やかであったので有名になった。 黄覇は恵まれない者のために鶏や豚を飼育させ、民に畜産を推奨するなどの政治を行った。郡内のことは何でも知り尽くしており、民や吏は驚いて「神明」と称えた。悪者は他郡に逃げ去り、盗賊は日々減少していった。人口は増加し、統治は天下で第一となった。

「潁川」行政地名、潁川。宣帝は黄覇を潁川太守に任命した。

 

 

近看 除刺史 ,還喜 吾賢

近ごろになって除刺史とであったが,還た喜ぶべきことであり、それは吾らに賢者が得られたということでもある。

・「刺史」職官爵位、刺史。

 

 

五馬 何時 ,雙魚 會早傳

太守に迎えられ、五頭立ての馬車で何時ここに到着したのであろうか。文章、詩賦が立派であることは早くから伝わっていたことだろう。

・「五馬」職官爵位、太守。

・「雙魚」文藝、文體、信。

 

 

老思 笻竹 ,冬要 錦衾

年老いてきて思うことは笻竹でつくった杖が必要であり、冬になったら錦衾のふとんで眠るひつようがあるのだ。

・「老思」老荘思想。ここは、年老いてきて思うことは。

・「笻竹」語義類別:物、生物、植物專名(禾本)、竹。杖に向いた竹で、そのまま杖という意味になる。

・「錦衾」生活用品(起居用品)、被。