杜甫《秋盡》 蜀中転々 客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

 

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636 七言律詩 《秋盡》 蜀中転々 杜甫 <541  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2930 杜甫詩1000-541-780/1500

 

 

作者: 杜甫  762年 寶應元年  51

卷別: 卷二二七  文體: 七言律詩 

詩題: 秋盡 

寫作地點: 目前尚無資料 

寫及地點:  少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城 

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺     

劍門山 (劍南道北部 劍州 劍門) 別名:蜀門     

掲 載; 杜甫1000首の541首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-780回目   40879

 

 

詩文:秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。 

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

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『秋盡』 現代語訳と訳註

(本文)

秋盡

秋盡東行且未回,茅齋寄在少城隈。

籬邊老卻陶潛菊,江上徒逢袁紹杯。

雪嶺獨看西日落,劍門猶阻北人來。

不辭萬里長為客,懷抱何時得好開。

 

 

(下し文)

(秋盡)

秋盡す 東行 且【まさ】に未だ回らず,茅齋 少城の隈に在るに寄す。

籬邊は老いて卻って陶潛の菊,江上 徒に袁紹の杯に逢う。

雪嶺 獨り西日の落を看る,劍門 猶お北人の來るを阻む。

萬里 長えに客を為すを辭さず,懷抱きて何時 好開を得んや。

 

 

(現代語訳)

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

 

 

(訳注)

金燈花03秋盡

(夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。)

七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

・秋盡 夏に出発し、客のままでもう秋が終わろうとしている。厳武を送って梓州に来て、厳武は長安に向かった。ところが成都で、徐知道が謀反を起こしたため、戦争にトラウマがある杜甫は帰らずに秋が終わるまでそのまま客としていることを云う。

首聯の「秋盡」がこの時の杜甫の置かれている状況を最もよく表す語である。

 

秋盡 東行 且未迴 ,茅齋 寄在 少城

客のままでもう秋が終わろうとしている弟妹が住む東の山東方面にこのままいきたいのであるがいまだに廻ることは出来かねたままなのだ。浣花渓の住居は成都の錦官城の外れの方にあるのでそこに寄らなけねばならない。

・東行 義理の母、弟妹は東の山東にいるのでこういう。

・且 いまにも~になりそうだ。

・少城 成都錦官城の別名。

・隈 關津渡口(津堤)。浣花渓草堂には船着き場を設置していた。

 

籬邊 老卻 陶潛 ,江上 徒逢 袁紹

籬に囲まれたその辺りには東晋の陶淵明が隠遁生活をした時のように菊の花が咲いている。濯錦江に面してそこでは三国時代の袁紹が秋に飲んだ鄭玄の盃に何時でも出会うのだ。

・「籬邊」まがきのあたり。浣花渓という名は杜甫が名づけている。文字通り、花いっぱいにかこまれたいと願って命名したのだ。

・「陶潛」東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。

・「菊」陶潜によって愛された菊。

・「江上」ここでは草堂の前を流れる濯錦江のこと。

・「袁紹」 紹(えん しょう、永興2年(154年)以前? - 建安7年(202年)5月)は、中国後漢末期の武将・政治家。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立。宦官勢力を壊滅させることに成功したが、董卓との抗争に敗れ、一時は首都の洛陽より奔り逼塞を余儀なくされたが、後に関東において諸侯同盟を主宰して董卓としのぎを削った。同盟解散後も群雄のリーダー格として威勢を振るい、最盛期には河北四州を支配するまでに勢力を拡大したが、官渡の戦いにおいて曹操に敗れて以降は勢いを失い、志半ばで病死した。。

・「杯」建安5年(200年)春、夢枕に孔子が現れ、鄭玄は自分の寿命が近い事を悟った。やがて病を得て寝たきりとなった。丁度、袁紹と曹操が官渡で争っていた時期であり、袁紹は子の袁譚に命じて鄭玄を随軍させようとしたが、応じる事はできなかった。鄭玄は元城県まで来たところで、病が篤くなり進めなくなった。同年6月に死去。74歳であった。薄葬とするよう遺言したという。

 

雪嶺 獨看 西 日落 ,劍門 猶阻北人

成都西から北つづく「雪嶺山脈」に落ちる夕日を一人で見ているが、北の剣門は未だに来た方面の旅人の侵入を妨げている。

・「雪嶺」語 成都盆地の北西にある山脈。杜甫『嚴公廳宴,同詠蜀道畫圖』「劍閣星橋北,松州雪嶺東。」(この地図で守るべき範囲は成都の星橋のはるか北には剣閣があり、遠く松州では雪嶺山脈がその東に横たわっていて、西の守備範囲を示している。)五言律詩 《巴西驛亭觀江漲呈竇使君》 蜀中転々 杜甫 <536  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2905 杜甫詩1000-536-775/1500

 

「劍門」劍門山。杜甫は3年前の冬ににここを超えて成都に遣って来たのである。それは成都紀行十二首に詳しく述べている。

成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522

 

不辭 萬里 長為客 ,懷抱 何時 得好開

遠く旅の人となって、もう随分になるが、これをやめることはできない。そしてずっと思い続けていることは、いつになったら、開かれた好ましい世の中になるのであろうかということだ。

aki010

・「不辭」官を辞して隠遁者になったのだが今度はそれを辞すことはしない。
・「懷抱」ずっと思い続けていること。
・「「好開」開かれた好ましい世の中になる。