《述古,三首之三》国家の機能、運営を休止して竟に四百日たった。しかし、聖人正義に欠かせない圖畫は儒教による教育によった雲台に大切に保管されていた。(粛宗がとった施政とは全く違っていると批判している。)

 

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655 《述古,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <560>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3030 杜甫詩1000-560-800/1500

 

 

作者: 杜甫  763年 廣德元年  52 

卷別: 卷二一九  文體: 五言古詩 

詩題:述古,三首之三

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

 

 

述古,三首之三

(古へのことをのべる。その三)

漢光得天下,祚永固有開。

漢の光武帝は天下を得た。そして、永遠の幸福ということもともとの考えとして朝廷を開いたのである。

豈惟高祖聖,功自蕭曹來。

どうしてただ漢の高祖は聖人たりえたのだろうか、それは自らが任じた蕭何を国土の復興に従事させ、曹參を黄老の学を尊重させたことが何よりの功績である。

經綸中興業,何代無長才。

国家を治めととのえるその方策によって漢を復活させ中興の事業とした。しかしそれが何代続くかというとそれを長くする才智はなかったのである。

吾慕寇鄧勳,濟時信良哉。

私が慕うのは漢の寇恂、鄧禹達の功業であり、時の弊害を正し人民の難儀を救うことを信頼して良策をとらせたのである、

耿賈亦宗臣,羽翼共裴回。

漢にはまた耿弇と賈復という光武帝の功臣がいたし、彼等は天子の両翼になって共に巡回して歩いた。

休運終四百,圖畫在雲台。

国家の機能、運営を休止して竟に四百日たった。しかし、聖人正義に欠かせない圖畫は儒教による教育によった雲台に大切に保管されていた。(粛宗がとった施政とは全く違っていると批判している。) 

(古を述ぶ 三首 その三)

漢の光 天下を得る,祚永 固に開有る。

豈に惟だ高祖 聖し,自ら功す 蕭・曹 來る。

經綸は中興の業なり,何代か 長才無し。

吾れ慕う 寇・鄧の勳を,濟時は 信、良なり。

耿・賈 亦た宗臣なり,羽翼 共に裴回す。

休運 終に四百なり,圖畫 雲台に在り。

 

sas0013 

『述古,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

述古,三首之三

漢光得天下,祚永固有開。 

豈惟高祖聖,功自蕭曹來。 

經綸中興業,何代無長才。 

吾慕寇鄧勳,濟時信良哉。 

耿賈亦宗臣,羽翼共裴回。 

休運終四百,圖畫在雲臺。 

 

 

(下し文)

(古を述ぶ 三首 その三)

漢の光 天下を得る,祚永 固に開有る。

豈に惟だ高祖 聖し,自ら功す 蕭・曹 來る。

經綸は中興の業なり,何代か 長才無し。

吾れ慕う 寇・鄧の勳を,濟時は 信、良なり。

耿・賈 亦た宗臣なり,羽翼 共に裴回す。

休運 終に四百なり,圖畫 雲台に在り。

 

 

(現代語訳)

(古へのことをのべる。その三)

漢の光武帝は天下を得た。そして、永遠の幸福ということもともとの考えとして朝廷を開いたのである。

どうしてただ漢の高祖は聖人たりえたのだろうか、それは自らが任じた蕭何を国土の復興に従事させ、曹參を黄老の学を尊重させたことが何よりの功績である。

国家を治めととのえるその方策によって漢を復活させ中興の事業とした。しかしそれが何代続くかというとそれを長くする才智はなかったのである。

私が慕うのは漢の寇恂、鄧禹達の功業であり、時の弊害を正し人民の難儀を救うことを信頼して良策をとらせたのである、

漢にはまた耿弇と賈復という光武帝の功臣がいたし、彼等は天子の両翼になって共に巡回して歩いた。

国家の機能、運営を休止して竟に四百日たった。しかし、聖人正義に欠かせない圖畫は儒教による教育によった雲台に大切に保管されていた。(粛宗がとった施政とは全く違っていると批判している。)

 

 

(訳注)

述古,三首之三

(古へのことをのべる。その三)

此の篇は、漢の光武帝による建国、国家統一、国家を復興させたが、それもやがて崩壊し後漢の中興、雲台二十八将とそれぞれ家臣を信頼し国を整備した。

 

漢光 得 天下 ,祚永 固有開 。

漢の光武帝は天下を得た。そして、永遠の幸福ということもともとの考えとして朝廷を開いたのである。

「漢光」朝代君王の帝號、漢の光武帝、劉秀。光武帝(こうぶてい、前6 - 57年)は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽の人。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。光武帝の施策の政治的・思想的特色のひとつとして儒教を振興し、学制・礼制を整備したことが挙げられる。

「祚」語義類別:事、祥瑞、福泰祥安、福。

 

豈惟高祖 聖 ,功自 蕭曹 來 。

どうしてただ漢の高祖は聖人たりえたのだろうか、それは自らが任じた蕭何を国土の復興に従事させ、曹參を黄老の学を尊重させたことが何よりの功績である。

「高祖」朝代君王の帝號、漢の高祖、劉邦。前漢の初代皇帝。沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

「聖」語義類別:人、稱謂、尊稱美稱、聖。

「功」語義類別:人、形容詞彙(人)、官場境遇、功。

「蕭曹」漢の蕭何、漢の曹參。蕭何:劉邦が皇帝となり、前漢が成立すると、蕭何は引き続き丞相として政務を担当することとなり、長年打ち続いた戦乱で荒れ果てた国土の復興に従事することとなった。曹參:? - 紀元前190年)は、秦末から前漢初期にかけての武将、政治家。姓は曹氏。諱は参、字は敬伯。前漢の2代目の相国となった。黄老の学を重んじた。

「來」語義類別:人、行為動作、一般行為(人部)、來。

 

經綸 中興 業 ,何代 無 長才 。

国家を治めととのえるその方策によって漢を復活させ中興の事業とした。しかしそれが何代続くかというとそれを長くする才智はなかったのである。

「經綸」国家を治めととのえること。また、その方策。

「中興」長期王朝、長期政権の中途、かつ危機的状況後に政権を担当して危機からの回復を達成し、政権の安定化や維持に多大な功績があったと歴史的評価を受ける時期のことをいう。ここでは光武帝は中国統一と前後して奴卑の解放や租税の軽減、軍士の帰農といった政策により王朝の基礎となる人民の生活の安定を図る一方、統治機構を整備して支配を確立した。56年に建武中元と改元して封禅の儀式を実施し、その翌年に死去したことをいう。

「業」語義類別:事、事件、事情概稱、事業。

「長才」語義類別:人、稱謂、尊稱美稱、才。

 

吾慕 寇鄧 勳 ,濟時 信 良哉 。

私が慕うのは漢の寇恂、鄧禹達の功業であり、時の弊害を正し人民の難儀を救うことを信頼して良策をとらせたのである、

「寇鄧」人名、合稱、寇恂(漢)、鄧禹(漢)。

・寇恂(漢)寇恂、字は子翼。?~36。上谷・昌平の人。河内太守、潁川太守、汝南太守、執金吾を歴任。 寇恂は、二十八宿の第五位。光武帝の補給の拠点となる大郡の太守となり、軍の食糧を供給し、蕭何と比較される。

・鄧禹(漢)孔子に顔回あり、光武に鄧禹あり. 鄧禹、字は仲華。258。南陽・新野の人。司徒、右将軍、太傅を歴任。 鄧禹は、二十八宿の筆頭に数えられ、光武帝の学生時代からの親友である。七歳年下であり、しばしば、劉備にとっての孔明と比較される

「勳」官場境遇、功業。

「濟時」治國之道、世を救う。時の弊害を正し人民の難儀を救うこと。

「信」語義類別:人、狀態、心智狀態、信。銅馬軍数十万を降伏させたとき、降兵らがなお安心していないことを知って軽装で巡察したため、降兵らは「蕭王は真心を持って人を信じて疑わぬ、命をかけてお助けしようではないか(蕭王、赤心を推して人の腹中に置く いずくんぞ死に投ぜざるをえんや)と語り合ったという。

「良」語義類別:人、品德性情、正面、良。

 

 

耿賈 亦宗臣 ,羽翼 共裴回 。

漢にはまた耿弇と賈復という光武帝の功臣がいたし、彼等は天子の両翼になって共に巡回して歩いた。

「耿賈」語義類別:人、人名、合稱、耿弇(漢)、賈復(漢)。

・耿 弇(こう えん、3 - 58年)は後漢の武将。字は伯昭(はくしょう)、扶風茂陵(陝西省興平市)の人(『後漢書』列伝9・本伝)。父は、上谷郡太守の耿況。後漢・光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第4位に序せられる(『後漢書』列伝12)。

・賈 復(か ふく、? - 55年)は後漢の武将。字は君文(くんぶん)、南陽冠軍の人(『後漢書』列伝7・本伝)。光武帝の功臣であり、「雲台二十八将」の第3位に序せられる(『後漢書』列伝12)。

「羽翼」動物指稱(合稱)、羽翼。

「裴回」一般行為(彳部)、徘徊。

 

 

休運終四百 ,圖畫 在 雲臺 。

国家の機能、運営を休止して竟に四百日たった。しかし、聖人正義に欠かせない圖畫は儒教による教育によった雲台に大切に保管されていた。(粛宗がとった施政とは全く違っていると批判している。)

「四百」四百。 漢に起こった400日は唐7566月長安を棄て霊武に、鳳翔に行在所移し、400日後に長安を奪回したことをいうが、その後に粛宗がとったことは賢臣の家臣を排除していったことである。

「雲臺」後漢の光武帝の天下統一を助けた28人の功臣である。官吏登用制度たる郷挙里選においては孝行・廉潔を旨とする孝廉の科目が重視され、36年(建武12年)には三公らが毎年一定数の孝廉を推挙するよう規定された。さらに56年(建武中元1年)には洛陽に教化・祭礼の施設として明堂・霊台・辟雍を設置した。雲臺。高台。 物を乗せる台。特に仏像を乗せる台や美術工芸品を乗せる台のこと。前者の多くは蓮の花を模しており、後者の多くは天板に短い脚が四本付いた構造。

 この句は、粛宗が儒者、文官、文学者を冷遇排除していったことを批判している。
Nature1-011