《將適楚留別章使君》私が旅に出て剣門を抜け蜀に入ってきた。その歳月もまた既にひさしいという感じになってきた。(758-863で当時の謂い方では五年になる。)でもこの間に私の子供たちも成長している。しかし自分にしても、醜い老人になってしまっている。

 

2013年9月29日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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659 《將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字》 蜀中転々 杜甫 <564-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3060 杜甫詩1000-564-#1-806/1500

 

 

作者: 杜甫  763年廣德元年52

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字 

作地點: 目前尚無資料だが、前詩から梓州と考える。 

及地點:  青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤     

交遊人物: 章彝 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字

(章彝が江南岳州に行くのをみんなが見送る、そのあと梓州幕府の諸公に柳字を与えられて作った詩)

我來入蜀門,月亦已久。

私が旅に出て剣門を抜け蜀に入ってきた。その歳月もまた既にひさしいという感じになってきた。(758-863で当時の謂い方では五年になる。)

豈惟長兒童,自覺成老醜。

でもこの間に私の子供たちも成長している。しかし自分にしても、醜い老人になってしまっている。

常恐性坦率,失身為杯酒。

常日頃、性格が開けっぴろげになっていくことを懼れる。身も細る思いをするのは、杯を傾けていくことである。

近辭痛飲徒,折節萬夫後。

官を辞して間もないころも、ひたすら浴びるほど酒を飲んでいた。そんなおりには多くの男たちがいつもより後退するものだ。

#2

昔如縱壑魚,今如喪家狗。

既無遊方戀,行止復何有。

相逢半新故,取別隨薄厚。

不意青草湖,扁舟落吾手。

眷眷章梓州,開筵俯高柳。

#3

樓前出騎馬,帳下羅賓友。

健兒簸紅旗,此樂或難朽。

日車隱崑崙,鳥雀噪牖。

波濤未足畏,三峽徒雷吼。

#4

所憂盜賊多,重見衣冠走。

中原消息斷,黃屋今安否。

終作適荊蠻,安排用莊叟。

隨雲拜東皇,掛席上南斗。

有使即寄書,無使長回首。 

 

(將に楚に適かんとする章使君に留別し、兼ねて幕府諸公に留後とす、柳字を得る。)

#1

我れ來りて蜀門に入り,月 亦た已に久す。

豈に惟だ 兒童を長じ,自ら覺える 老醜と成を。

常に性坦の率を恐れ,身を失すは 杯酒を為すを。

近辭 痛飲の徒,折節 萬夫の後。

 

 

『將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字』 現代語訳と訳註

(本文)剣門関01

將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字

我來入蜀門,月亦已久。

豈惟長兒童,自覺成老醜。

常恐性坦率,失身為杯酒。

近辭痛飲徒,折節萬夫後。

 

 

(下し文)

(將に楚に適かんとする章使君に留別し、兼ねて幕府諸公に留後とす、柳字を得る。)

我れ來りて蜀門に入り,月 亦た已に久す。

豈に惟だ 兒童を長じ,自ら覺える 老醜と成を。

常に性坦の率を恐れ,身を失すは 杯酒を為すを。

近辭 痛飲の徒,折節 萬夫の後。

 

(現代語訳)

(章彝が江南岳州に行くのをみんなが見送る、そのあと梓州幕府の諸公に柳字を与えられて作った詩)

私が旅に出て剣門を抜け蜀に入ってきた。その歳月もまた既にひさしいという感じになってきた。(758-863で当時の謂い方では五年になる。)

でもこの間に私の子供たちも成長している。しかし自分にしても、醜い老人になってしまっている。

常日頃、性格が開けっぴろげになっていくことを懼れる。身も細る思いをするのは、杯を傾けていくことである。

官を辞して間もないころも、ひたすら浴びるほど酒を飲んでいた。そんなおりには多くの男たちがいつもより後退するものだ。

 

 

(訳注)

將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字

(章彝が江南岳州に行くのをみんなが見送る、そのあと梓州幕府の諸公に柳字を与えられて作った詩)

章彝【しょうい】、崔都督、錢徽と梓州諸公と宴会に列席している。『陪章留後惠義寺餞嘉州崔都督赴州』

錢起之子。貞元初年進士出身,居穀城。當地縣令王郢好客,喜結交三教九流,以公帑請客送禮,被革職辦。觀察使樊澤負責處理此案,發現只有錢徽一文不取。乃表署掌書記。元和初年入朝,任翰林學士。官至尚書郎。

銭起(せん き、710?780?)は、中国・唐代の詩人。 呉興(浙江省)の出身。字(あざな)は仲文。 略歴[編集]. 天宝十載(751)の進士で、校書郎・考功郎中を歴任、大暦年間には太清宮使・翰林学士に至った。 大暦十才子の一人に数えられている。

 

我來 蜀門 亦已久

私が旅に出て剣門を抜け蜀に入ってきた。その歳月もまた既にひさしいという感じになってきた。(758-863で当時の謂い方では五年になる。)

「蜀門」蜀にはいる門、剣門を通って蜀に入る。

758-863で当時の謂い方では五年になる。五年を超えれば十年という表現になる。。

 

 

豈惟長兒童 ,自覺 成老醜

でもこの間に私の子供たちも成長している。しかし自分にしても、醜い老人になってしまっている。

「兒童」孩童。

 

 

常恐 性坦率 ,失身 為杯酒

常日頃、性格が開けっぴろげになっていくことを懼れる。身も細る思いをするのは、杯を傾けていくことである。

「坦率」氣質涵、(人・性格・言葉・意見・批判などが)率直である,開けっ広げである,包み隠しがない。

 

 

近辭 痛飲 ,折節 萬夫

官を辞して間もないころも、ひたすら浴びるほど酒を飲んでいた。そんなおりには多くの男たちがいつもより後退するものだ。

「近辭」官を辞して間もないころ。

「徒」いたずらに。

「萬夫」多くの男。多くの武士。
古桟道0001