《寄題江外草堂》#4それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。
五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3135 杜甫詩1000-569-#4-821/1500
作者: 杜甫 763年 廣德元年 52歲
卷別: 卷二二○ 文體: 五言古詩
詩題: 寄題江外草堂〔自注:梓州作,寄成都故居。〕
作地點:梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州)
及地點:草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍
杜甫の成都時代は、唐の760年上元元年の49九歳から、765年永泰元年春または夏の54歳までのおよそ五年半である。この期間を杜甫はすべて草堂で過ごしたわけではない。途中梓州(シシュウ)方面で二年弱にわたる長期の旅寓を余儀なくされ、成都に帰ってからも半年ほど幕府に出仕していた。
寄題江外草堂
(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)
〔自注:梓州作,寄成都故居。〕#1
〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕
我生性放誕,雅欲逃自然。
私が生を受けたのは誕生して性格が奔放である。爾雅は官に縛られることなく自然の中に逃れたいとしている。
嗜酒愛風竹,卜居必林泉。
酒をこよなく愛し、風雅と幽閑な竹林を愛す。居を建設する所は必ず林あり、水の湧き出るところである。
遭亂到蜀江,臥痾遣所便。
しかし、乱に遭遇するのもこの蜀、長江周辺にもやってきているし、こじれて長引く持病で寝付くが便りだけは届くところに入るのである。
誅茅初一畝,廣地方連延。
茅、菰なとが生えていた原野に初めはたった一畝であったが、その後周辺部分を広げていった。
江外にて草堂を題し寄せる。
〔自注:梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕
我が生は放誕性し,雅は自然に逃れんと欲す。
嗜酒【ししゅ】 風竹を愛し,卜居 林泉を必ずとす。
遭亂 蜀江に到り,臥痾【があ】 便する所に遣す。
茅【かや】を誅【き】りて初めは一畝【ホ】のひろさ、のちには地を広げて方【まさ】に連延たり。
#2
經營上元始,斷手寶應年。
浣花渓において農業経営を上元の年から始め、寶應の年にちょっと手を止めている。
敢謀土木麗,自覺面勢堅。
あえて、畑を作り灌漑設備をつくったり土地整備を行ったし、自分でも顔色も随分良くなってしっかりしてきたように自覚したものだ。
臺亭隨高下,敞豁當清川。
官僚や友人たちとの者との宴会を地位の高い低いに従って行ったものだし、広大無辺な気持ちになって身も心も清らかな川にむかっているのである。
雖有會心侶,數能同釣船。
人と逢うことは心許せるものとだけだということではあるものの、数能く同じ釣り船に乗って過ごすのである。
經營 上元に始まり,手を斷つ 寶應の年。
敢えて土木の麗を謀り,自ら面勢の堅を覺う。
臺亭 高下に隨い,敞豁 清川に當る。
會心の侶に有ると雖も,數えて能く釣船を同うす。
#3
干戈未偃息,安得酣歌眠。
戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。
蛟龍無定窟,黃鵠摩蒼天。
神物である蛟と龍でさえその棲むところである水中の淵底や洞窟に定住できないし、黄色のおおとりは大空にこすってしまうという。
古來達士志,寧受外物牽。
いにしえから高士で、練達の士である處の志を有すというのに、どうして外部からの牽引を得ようとするのであろうか。
顧惟魯鈍姿,豈識悔吝先。
振り返ってみればただ愚かで、頭の働きが鈍い姿を見せただけであったし、どんなにしても自分のあやまちを悔い改めることには全くしなかったのである。
干戈 未だ偃息【えんそく】せず,安んぞ酣歌【かんか】の眠りを得んや。
蛟龍【こうりゅう】窟【くつ】を定むこと無く,黃鵠【こうこく】蒼天【そうてん】を摩【こす】る。
古來 達士の志,寧んぞ受ん 外物の牽するを。
顧れば惟だ魯鈍【ろどん】の姿を,豈に悔吝【かいりん】の先を識らんや。
#4
偶攜老妻去,慘澹凌風煙。
たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。
事跡無固必,幽貞愧雙全。
官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。
尚念四小松,蔓草易拘纏。
それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。
霜骨不甚長,永為鄰里憐。
何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。
偶ま老妻を攜えて去り,慘澹として 風煙を凌ぐ。
事跡 固もと必とすること無く,幽貞 雙つ全とするを愧ず。
尚お念う 四 小松なり,蔓草 易 拘纏す。
霜骨にして長くするに甚えざり,永く為すは 鄰里 憐れにするを。
『寄題江外草堂』 現代語訳と訳註
(本文) #4
偶攜老妻去,慘澹凌風煙。
事跡無固必,幽貞愧雙全。
尚念四小松,蔓草易拘纏。
霜骨不甚長,永為鄰里憐。
(下し文) #4
偶ま老妻を攜えて去り,慘澹として 風煙を凌ぐ。
事跡 固もと必とすること無く,幽貞 雙つ全とするを愧ず。
尚お念う 四 小松なり,蔓草 易 拘纏す。
霜骨にして長くするに甚えざり,永く為すは 鄰里 憐れにするを。
(現代語訳)
たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。
官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。
それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。
何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。
(訳注)
寄題江外草堂 #4
(錦江の外にて浣花渓草堂について題し寄せる。)
〔自注:梓州作,寄成都故居。〕
〔杜甫の自注:逃避先の梓州で「成都の故居に寄せる」を作る。〕
偶攜 老妻 去 ,慘澹 凌風 煙 。
たまたま、官を辞して、老妻を携えてみやこの東側には惨澹たる状況で、風により吹き荒れ戦火の煙でいっぱいだった都を去った。
事跡 無 固必 ,幽貞 愧 雙全。
官での実績と仕事にもともと固執するわけではないが、隠士として、老妻との二人でいることがすべてであればこれからは恥入ることもある。
「事跡」官での実績と仕事。
「幽貞」隱士。
尚念 四 小松 ,蔓草 易 拘纏 。
それでも、心に思うことは四方に松の木を植えるかのように四書五経を松の木のように身に着け、つるくさのように易経を身にまとわりつけることである。
「念」語義類別:人、狀態、心智狀態、念。
「四 小松」四書五経を松の木のようにきちんとする。
「易」易経。
「拘纏」繞割りつくこと。
霜骨 不甚 長 ,永為鄰里 憐 。
何も身に着けずにいることは長期にわたって絶えることはできない。さらに長くするのは隣の里郷に憐れにするだけなのである。
「霜骨」松が風雨に露骨にさらされる、旅人として。