《涪江泛舟送韋班歸京〔得山字〕》この日は、あとからおいかけて旅立ちのはなむけをしようと同じ舟でゆく日である。この一すじの涪江の流れにおいて春げしきに対してもこころをいためる。
《涪江泛舟送韋班歸京〔得山字〕》 蜀中転々 杜甫 <579> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3205 杜甫詩1000-579-835/1500
涪江泛舟送韋班歸京〔得山字〕
(涪江に舟をうかべて韋班というものが都へかえるのを送る詩。)〔山の字を得る〕
追餞同舟日,傷春一水間。
この日は、あとからおいかけて旅立ちのはなむけをしようと同じ舟でゆく日である。この一すじの涪江の流れにおいて春げしきに対してもこころをいためる。
飄零為客久,衰老羨君還。
自分は零落・飄蓬しており久しく旅客となったままであり、衰老の境涯にある身でこのたび君がみやこへかえるのをうらやましくおもうのである。
花遠重重樹,雲輕處處山。
君のとおる処には花が一面に咲き、遠くまでいろんな花が咲いていて、その向こうに幾重にもかさなった樹がある。そして処処の山には雲が軽くういている。
天涯故人少,更益鬢毛斑。
君とわかれてしまえばここ天の果てにあってはなじみのものもすくない。その上、さらに鬢の毛の白髪斑なることが益すこととおもう。
(涪江に舟を泛かべ韋班が京に帰るを送る、山の字を得たり)
追餞 同舟の日、春を傷む 一水の間。
諷零 客となること久しく、衰老 君が還るを羨む。
花は雑わる重重たる樹 雲は軽し処処の山
天涯故人少なし 更に贅毛の斑なるを益さん
『涪江泛舟送韋班歸京』 現代語訳と訳註
(本文)
涪江泛舟送韋班歸京〔得山字〕
追餞同舟日,傷春一水間。
飄零為客久,衰老羨君還。
花遠重重樹,雲輕處處山。
天涯故人少,更益鬢毛斑。
(異文)
追餞同舟日,傷春一水間【傷心一水間】。
飄零為客久,衰老羨君還。
花遠重重樹【花雜重重樹】,雲輕處處山。
天涯故人少,更益鬢毛斑【更憶鬢毛斑】。
(下し文)
(涪江に舟を泛かべ韋班が京に帰るを送る、山の字を得たり)
追餞 同舟の日、春を傷む 一水の間。
諷零 客となること久しく、衰老 君が還るを羨む。
花は雑わる重重たる樹 雲は軽し処処の山
天涯故人少なし 更に贅毛の斑なるを益さん
(現代語訳)
(涪江に舟をうかべて韋班というものが都へかえるのを送る詩。)〔山の字を得る〕
この日は、あとからおいかけて旅立ちのはなむけをしようと同じ舟でゆく日である。この一すじの涪江の流れにおいて春げしきに対してもこころをいためる。
自分は零落・飄蓬しており久しく旅客となったままであり、衰老の境涯にある身でこのたび君がみやこへかえるのをうらやましくおもうのである。
君のとおる処には花が一面に咲き、遠くまでいろんな花が咲いていて、その向こうに幾重にもかさなった樹がある。そして処処の山には雲が軽くういている。
君とわかれてしまえばここ天の果てにあってはなじみのものもすくない。その上、さらに鬢の毛の白髪斑なることが益すこととおもう。
(訳注)
涪江泛舟送韋班歸京〔得山字〕
(涪江に舟をうかべて韋班というものが都へかえるのを送る詩。)〔山の字を得る〕
卷別: 卷二二七 文體: 五言律詩 763年広徳元年春、劍南道北部梓州での作。
○韋班 事歴は詳かでない。
○京 長安であろうか。
追餞同舟日,傷春一水間。
この日は、あとからおいかけて旅立ちのはなむけをしようと同じ舟でゆく日である。この一すじの涪江の流れにおいて春げしきに対してもこころをいためる。
○追餞 あとをおいかけてはなむけする。
飄零為客久,衰老羨君還。
自分は零落・飄蓬しており久しく旅客となったままであり、衰老の境涯にある身でこのたび君がみやこへかえるのをうらやましくおもうのである。
花遠重重樹,雲輕處處山。
君のとおる処には花が一面に咲き、遠くまでいろんな花が咲いていて、その向こうに幾重にもかさなった樹がある。そして処処の山には雲が軽くういている。
○花遠 花遠とは花が一面に咲き、遠くまでいろんな花が咲いていることを云う。花雑であれば異種類の花がさきあっていることをいう。
天涯故人少,更益鬢毛斑。
君とわかれてしまえばここ天の果てにあってはなじみのものもすくない。その上、さらに鬢の毛の白髪斑なることが益すこととおもう。
○天涯 京に対して居地の梓州をさす。