杜甫《數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一》涪江は清らかに広がっているが、美女の歌が船底の扇のほうから聞こえてくる。広々とした野舞台では舞い衣の裾前をみだして踊っている。
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作時:763年 廣德元年 杜甫52歳
卷別: 卷二二七 文體: 五言律詩
詩題: 數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一
地點: 梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)
交遊人物: 李梓州
掲 載; 杜甫1000首の591首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-847回目
數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一
(何度も、李梓州に陪席して涪江に舟を泛べる。そこに、女楽士がおり、いろんな船で来ている。戯れに、艶歌を作って李公に贈る。二首の一。)
上客迴空騎,佳人滿近船。
賓客も同船していて、何処へしけこんだのか空になった騎馬が帰ってきた。美人の妓女たちは大きな船でたくさん載って近づいてきた。
江清歌扇底,野曠舞衣前。
涪江は清らかに広がっているが、美女の歌が船底の扇のほうから聞こえてくる。広々とした野舞台では舞い衣の裾前をみだして踊っている。
玉袖凌風並,金壺隱浪偏。
奇麗な袖は躍るたびに涼風を起こし、黄金の姫壺は波間に見え隠れする。
競將明媚色,偷眼豔陽天。
競い合うのはまさに、輝いている妖艶な色気であり、見る人の目をこんなに楽しませてくれるのであり、天はこんな色気のある光景を映し出す太陽である。
(數【しばし】ば李梓州に陪して江に泛べ,女樂有りて諸舫在る,戲れに豔曲二首を為り 李に贈る,二首の一)
上客空騎を迴らし,佳人は船に滿して近くする。
江清くして 歌は扇底にあり,野曠くして舞衣の前にする。
玉袖 凌風に並び,金壺 隱浪に偏る。
競うは將に媚色を明らかにし,眼を偷ますは豔陽の天なり。
『數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一』 現代語訳と訳註
(本文)
數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一
上客迴空騎,佳人滿近船。
江清歌扇底,野曠舞衣前。
玉袖凌風並,金壺隱浪偏。
競將明媚色,偷眼豔陽天。
(下し文)
(數【しばし】ば李梓州に陪して江に泛べ,女樂有りて諸舫在る,戲れに豔曲二首を為り 李に贈る,二首の一)
上客 空騎を迴らし,佳人は船に滿して近くする。
江清くして 歌は扇底にあり,野曠くして舞衣の前にする。
玉袖 凌風に並び,金壺 隱浪に偏る。
競うは將に媚色を明らかにし,眼を偷ますは豔陽の天なり。
(現代語訳)
(何度も、李梓州に陪席して涪江に舟を泛べる。そこに、女楽士がおり、いろんな船で来ている。戯れに、艶歌を作って李公に贈る。二首の一。)
賓客も同船していて、何処へしけこんだのか空になった騎馬が帰ってきた。美人の妓女たちは大きな船でたくさん載って近づいてきた。
涪江は清らかに広がっているが、美女の歌が船底の扇のほうから聞こえてくる。広々とした野舞台では舞い衣の裾前をみだして踊っている。
奇麗な袖は躍るたびに涼風を起こし、黄金の姫壺は波間に見え隠れする。
競い合うのはまさに、輝いている妖艶な色気であり、見る人の目をこんなに楽しませてくれるのであり、天はこんな色気のある光景を映し出す太陽である。
(訳注)
數陪李梓州泛江,有女樂在諸舫,戲為豔曲二首贈李,二首之一
(何度も、李梓州に陪席して涪江に舟を泛べる。そこに、女楽士がおり、いろんな船で来ている。戯れに、艶歌を作って李公に贈る。二首の一。)
・豔 艶と同じ。1 あでやかで美しいこと。なまめかしいこと。また、そのさま。「―を競う」「―な姿」2 情趣に富むさま。美しく風情のあるさま。「月隈なくさしあがりて、空のけしきも―なるに」〈源・藤袴〉3 しゃれているさま。粋(いき)なさま。
この詩は、杜甫が高官や富貴の者が喜ぶエッチなことを一生懸命詠ったものである。
上客 迴 空騎 ,佳人 滿近船 。
賓客も同船していて、何処へしけこんだのか空になった騎馬が帰ってきた。美人の妓女たちは大きな船でたくさん載って近づいてきた。
「上客」同席している賓客たち。
「迴騎」美人の乗っている船に移動して乗ってきた馬を乗せた船を帰してきた。
「佳人」この舟游の席に呼ばれている妓女。
江清 歌 扇底 ,野曠 舞衣 前 。
涪江は清らかに広がっているが、美女の歌が船底の扇のほうから聞こえてくる。広々とした野舞台では舞い衣の裾前をみだして踊っている。
「江」舟遊びをする涪江。
「扇底」周囲から見えなくして船底にいる。
「野曠」郊原村野原は広く広がっている。。
玉袖 凌風 並,金壺 隱浪偏 。
奇麗な袖は躍るたびに涼風を起こし、黄金の姫壺は波間に見え隠れする。
「玉袖」そげから奇麗な腕が見える様子を云う。
「金壺」姫壺が垣間見える。
競將 明媚 色 ,偷眼 豔陽 天 。
競い合うのはまさに、輝いている妖艶な色気であり、見る人の目をこんなに楽しませてくれるのであり、天はこんな色気のある光景を映し出す太陽である。
「偷眼」遠くからでも人の目を楽しまさせてくれるのは天から明るく日が射してくれているからである。杜甫が高官や富貴の者が喜ぶエッチなことを一生懸命詠ったもの。