杜甫《征夫》このあたり、十軒の家にはたして幾人が残っているだろうか。あちこちの山里には人かげも稀で、ただいたずらに空虚なところばかりである。
699 《征夫》 蜀中転々 杜甫 <606> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3340 杜甫詩1000-606-862/1500
詩 題:征夫 作時:763年 廣德元年 杜甫52歳
卷別: 卷二二七 文體: 五言律詩
掲 載; 杜甫1000首の606首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-862回目
征夫
十室幾人在,千山空自多。
このあたり、十軒の家にはたして幾人が残っているだろうか。あちこちの山里には人かげも稀で、ただいたずらに空虚なところばかりである。
路衢唯見哭,城市不聞歌。
四方路上、ちまたにはただ死者を哭する者を目につくばかり、ところが城市にはいるとたのしい歌声などは聞こえてこない。
漂梗無安地,銜枚有荷戈。
漂泊のわが身に安住の地はないが、それにもまして戈を背負わされた人民は、箸枚をふくまされ、我慢して従軍しているのだ。
官軍未通蜀,吾道竟如何。
官軍の掃討・征伐軍はまだこの蜀にはやって來ない。ああ私の前途は、どうなってゆくのだろう。(征夫【せいふ】)
十室 幾人か在る,千山 空しく自ら多し。
路衢【ろく】唯だ哭するを見る,城市 歌うを聞かず。
漂梗【ひょうこう】安地無く,銜枚【かんばい】荷戈【かか】有り。
官軍 未だ蜀に通ぜず,吾が道 竟に如何【いかん】。
『征夫』 現代語訳と訳註
(本文)
征夫
十室幾人在,千山空自多。
路衢唯見哭,城市不聞歌。
漂梗無安地,銜枚有荷戈。
官軍未通蜀,吾道竟如何。
(下し文)
(征夫【せいふ】)
十室 幾人か在る,千山 空しく自ら多し。
路衢【ろく】唯だ哭するを見る,城市 歌うを聞かず。
漂梗【ひょうこう】安地無く,銜枚【かんばい】荷戈【かか】有り。
官軍 未だ蜀に通ぜず,吾が道 竟に如何【いかん】。
(現代語訳)
このあたり、十軒の家にはたして幾人が残っているだろうか。あちこちの山里には人かげも稀で、ただいたずらに空虚なところばかりである。
四方路上、ちまたにはただ死者を哭する者を目につくばかり、ところが城市にはいるとたのしい歌声などは聞こえてこない。
漂泊のわが身に安住の地はないが、それにもまして戈を背負わされた人民は、箸枚をふくまされ、我慢して従軍しているのだ。
官軍の掃討・征伐軍はまだこの蜀にはやって來ない。ああ私の前途は、どうなってゆくのだろう。
(訳注)
征夫
閬州にての作で。時に吐蕃が松州を囲み、蜀の人民はまた征戈に苦しんでいた。
『倦夜〔倦秋夜〕』『對雨』『警急〔自注:時高公適領西川節度。〕』『王命』『征夫』『送元二適江左』と同時期のもの。
十室幾人在,千山空自多。
このあたり、十軒の家にはたして幾人が残っているだろうか。あちこちの山里には人かげも稀で、ただいたずらに空虚なところばかりである。
・この二句は世情不安で住民が逃げ出していなくなったことを云う。
路衢唯見哭,城市不聞歌。
四方路上、ちまたにはただ死者を哭する者を目につくばかり、ところが城市にはいるとたのしい歌声などは聞こえてこない。
・衢 ちまた。四方に通じる道。よつつじ。
漂梗無安地,銜枚有荷戈。
漂泊のわが身に安住の地はないが、それにもまして戈を背負わされた人民は、箸枚をふくまされ、我慢して従軍しているのだ。
・漂梗 梗は桃梗。桃の枝で作ったまじないの人形。桃梗は大雨におうて、泛々としてとどまる所を知らぬ、ということで、杜甫の漂泊・流寓の身の上をたとえる。
・銜枚 軍兵が声を立てぬように、口に箸のようなものをくわえさせ我慢のさまを云う。
・荷戈 戈をになうもの。兵士。
官軍未通蜀,吾道竟如何。