杜甫《戲作寄上漢中王,二首之二》そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。
703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 》 蜀中転々 杜甫 <610> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500
作時:763年 廣德元年 杜甫52歳
卷別: 卷二二七
文體: 七言絕句
詩題: 戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕
作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州)
及地點:
梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑 ・東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山
交遊人物: 李瑀
掲 載; 杜甫1000首の610首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-866回目
戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕
謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。
東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。
杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。
そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。
『戲作寄上漢中王,二首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕
謝安舟楫風還起,梁苑池臺雪欲飛。
杳杳東山攜漢妓,泠泠修竹待王歸。
(下し文)
戲れに作り漢中王に寄せ上る,二首の二〔自ら注す:王 新らたに明珠誕る。〕
謝安 舟楫 風 還た起き,梁苑 池臺 雪 飛んと欲す。
杳杳たり東山漢妓を攜さえ,泠泠たり竹を修し王歸るを待す。
(現代語訳)
(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕
東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。
そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。
(訳注)
戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕
(戯れて作ってみた詩、漢の親族中の王に作り寄せたてまつる二首の二。)〔王には新たに明珠が誕生する。〕
○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。一年前にも同様な題の詩を作る。
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謝安 舟楫 風 還起 ,梁苑 池臺 雪 欲飛 。
東晋の謝安は舟の楫をとり、風を起こし又自ら功を挙げた。開封の梁園の池亭臺樓閣にはその頃と同じように花が粋のように散ってほしいと思うのだ。
「謝安」東晋の名宰相。字は安石。陳郡陽夏(河南省太康県)が本籍の人であるが,会稽(浙江省)上虞(じようぐ)に寓居して,早くから大人物と目されながら王羲之らと風流自適の生活を楽しみ,40歳を過ぎてはじめて出仕した。中央に地位を占めてからは,東晋を奪おうとする桓温(かんおん)の野望をくじき,383年(太元8)には甥の謝玄らを派遣して,南下する前秦苻堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)に破った(淝水の戦)。行書にも巧みで教養豊かな彼のおおらかな政治のやり方は,貴族政治の典型とされる。晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。 春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」謝霊運の「池塘生春草」にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。
謝安の芸妓を携えて東山
始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。
「梁苑」洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。梁苑 梁園に同じ、開封の街をいう。李白『秋浦寄內』
我今尋陽去。辭家千里余。結荷倦水宿。卻寄大雷書。
雖不同辛苦。愴離各自居。我自入秋浦。三年北信疏。
紅顏愁落盡。白發不能除。有客自梁苑。手攜五色魚。
開魚得錦字。歸問我何如。江山雖道阻。意合不為殊。
秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350
梁園吟
まとめ 李白42
李白42 梁園吟
「池臺」語義類別:地、自然景觀、水澤湖泊、池亭臺樓閣。
杳杳 東山 攜 漢妓 ,泠泠 修竹 待 王歸 。
そこには謝安が東山の高楼に芸妓を携えていたことはもう数百年も経過してぼやけてしまっているかもしれないが、冷え冷えとしていることは丈の長さを整えるように、その地方を平定されて漢王としてここに帰ってこられることを待ち望んでおります。
「杳杳」 冥冥と同じく、暗い意。
「東山攜妓」李白詩『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。」とあり、謝安の故事を引用したものである。
「泠泠」自然界聲音、泠泠とあるのは、世情を落ち着かせること。
「修竹」たけの長短を調整すること、施政者としての役割を果たすことを云う。
「王」漢中王。




