杜甫《花底〕》深く知らなければいけないことは、美男でなくとも良い顔の色をしていなければいけないことである。当然、それは詩文において泥や砂交じりのような汚文の文章、作品を作ってはいけないということだ。


2013年12月24日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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729 《花底〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <636  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3490 杜甫詩1000-636-892/1500〔草堂逸詩拾遺-(5)

 

 

詩 題:花底〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 花底【案:草堂逸詩拾遺。】 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點:  河陽 (都畿道 河南府 河陽) 別名:潘安縣 
掲 載; 杜甫1000首の636首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-892回目

pla006 

 

花底〔草堂逸詩拾遺-(5)

(花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている)

紫萼扶千蕊,黃鬚照萬花。

花の根元が紫の咢片が、千ほどのたくさんの花の芯蕊を助けている。花蕊の勇壮なチジレ髯は、万という沢山の花に在り照栄えるものだ。

忽疑行暮雨,何事入朝霞。

それでも春の季節が終わろうとしたり、雨に降られればパッと開いたままではいられずたちまち落ちてしまう。どういうわけか仕事においても朝霞の中朝廷に入るのと似ているようだ。

恐是潘安縣,堪留衛玠車。

このことは晋の潘岳のような美男子で、美文を書くものあってもその県を歩くことが出来なくなるほどであってなにもできなかったということを懼れ心配するし、また、同じ美男子でも晋の衛玠ほどの者のように体の弱さが車で移動するのさえとどまることが出来ない「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」ということわざだできたほど美男子がその才能を助けることはなかった。

深知好顏色,莫作委泥沙。 

深く知らなければいけないことは、美男でなくとも良い顔の色をしていなければいけないことである。当然、それは詩文において泥や砂交じりのような汚文の文章、作品を作ってはいけないということだ。

美女004 

 

『花底』〔草堂逸詩拾遺-(5)〕 現代語訳と訳註

(本文)

花底〔草堂逸詩拾遺-(5)

紫萼扶千蕊,黃鬚照萬花。

忽疑行暮雨,何事入朝霞。

恐是潘安縣,堪留衛玠車。

深知好顏色,莫作委泥沙。

 

(下し文)

花底〔草堂逸詩拾遺-(5)

紫萼扶千蕊,黃鬚照萬花。

忽疑行暮雨,何事入朝霞。

恐是潘安縣,堪留衛玠車。

深知好顏色,莫作委泥沙。

 

(現代語訳)

(花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている)

花の根元が紫の咢片が、千ほどのたくさんの花の芯蕊を助けている。花蕊の勇壮なチジレ髯は、万という沢山の花に在り照栄えるものだ。

それでも春の季節が終わろうとしたり、雨に降られればパッと開いたままではいられずたちまち落ちてしまう。どういうわけか仕事においても朝霞の中朝廷に入るのと似ているようだ。

このことは晋の潘岳のような美男子で、美文を書くものあってもその県を歩くことが出来なくなるほどであってなにもできなかったということを懼れ心配するし、また、同じ美男子でも晋の衛玠ほどの者のように体の弱さが車で移動するのさえとどまることが出来ない「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」ということわざだできたほど美男子がその才能を助けることはなかった。

深く知らなければいけないことは、美男でなくとも良い顔の色をしていなければいけないことである。当然、それは詩文において泥や砂交じりのような汚文の文章、作品を作ってはいけないということだ。

金燈花01 

 

 

(訳注)

花底〔草堂逸詩拾遺-(5)

(花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている)

杜甫の作品で「花底」という語を使っている作品は757年①『晚出左掖』758年左遷先に向かう途中作『題鄭縣亭子』で前向きな児の作品ではないこの作品も心情的には先行き不安な時期という意味では不安定なころのものである。。

『晚出左掖』

晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。

退朝花底散,歸院柳邊迷。

樓雪融城濕,宮雲去殿低。

避人焚諫草,騎馬欲雞棲。

昼刻 伝呼 浅く、春旗 簇仗【ぞくじょう】齊【ひと】し。

退朝 花底に散じ、帰院【きいん】柳辺【りゅうへん】に迷う。

楼雪【ろうせつ】融けて城湿【うるお】い、宮雲 去りて殿低し。

人を避けて諌草【かんそう】を焚く、馬に騎れば鶏棲【けいせい】ならんと欲す。

夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。

昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。

そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。

南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。

人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。

晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

『題鄭縣亭子』

鄭縣亭子澗之濱,牖憑高發興新。

雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。

巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。

更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

(鄭県の亭子に題す)

鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。

雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。

巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。

更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。

雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。

やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)

そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

 

紫萼 扶千蕊 ,黃鬚 萬花

花の根元が紫の咢片が千ほどのたくさんの花の芯蕊を助けている。勇壮なチジレ髯は万という沢山の花に在り照栄えるものだ。

「紫」花の根元のこと、花に比較してきれいではないけれど花が咲くために名なくてはならないものであるということ。。

「萼」萼(がく、蕚は異体字、英: calyx)とは、植物用語の一つで、花冠(花弁、またはその 集まり)の外側の部分をいう。ひらがな書きで「がく」とすることも多い。萼の個々の部分を 萼片(がくへん、英: sepal)という。多くの場合、花弁(「花びら」のこと)の付け根。

「黃鬚」虎のようなヒゲのこと。当時の色の範囲は現代より広いので、黄色と言っても本物の虎のように真っ黄色である必要はなくチジレ髯を云う

 

忽疑 暮雨 ,何事 入朝 霞。

それでも春の季節が終わろうとしたり、雨に降られればパッと開いたままではいられずたちまち落ちてしまう。どういうわけか仕事においても朝霞の中朝廷に入るのと似ているようだ。

*喜び勇んで朝廷の左拾遺となったが花を咲かせる前に散ってしまったということを連想させる。

 

恐是 潘安縣 ,堪留 衛玠

此れは晋の潘岳のような美男子がその県を歩くことが出来なくこのことは晋の潘岳のような美男子で、美文を書くものあってもその県を歩くことが出来なくなるほどであってなにもできなかったということを懼れ心配するし、また、同じ美男子でも晋の衛玠ほどの者のように体の弱さが車で移動するのさえとどまることが出来ない「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」ということわざだできたほど美男子がその才能を助けることはなかった。

「潘安」陸機と並んで西晋時代を代表する文人。また友人の夏侯湛と「連璧」と称されるほど、類稀な美貌の持ち主としても知られている。 『世説新語』によると、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたという。潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。 愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。

潘安縣としているが河陽の潘安縣という場所を示すのではなく個人の名前である。。

「衛玠」、西晋の丞相とした衛瓘の孫・衛玠。 河東安邑出身で、今の山西省出身。衛玠は一番美しい容貌であった。後世の中国に衛玠の名前はもう美男子あるいは二枚目の象徴である。

 王武子は衛玠の母方のおじで、美男子の名誉も持ったが、

体がよわかった。東晋の王丞相(王導)は衛玠を見て、「羅綺を堪えないね」と言ったという。西晋が北方の少数民族に滅ぼされた後、衛玠も建康(東晋の都、今の南京市)へ来た。建康についた日、人々が衛玠の美男子の名声のため街へ出かけて衛玠を見たかった!人の群れは壁のようだったので、衛玠の車が移動し難かった。衛玠の体はもとは弱かったので、今は疲れを堪えなくて、病気になってすぐに他界した。それは正に中国の歴史上の「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」ということわざになっている。

 

深知 顏色 ,莫作 委泥沙

深く知らなければいけないことは、美男でなくとも良い顔の色をしていなければいけないことである。当然、それは詩文において泥や砂交じりのような汚文の文章、作品を作ってはいけないということだ。

「顏色」美男子でなくても健康でなければいけない。潘岳のように美辞麗句の詩文より、筋の通ったしっかりした詩文でなくてはならない。

「泥沙」泥沙。 ここでは文章、詩文の作品が上手くないことを云う。
 菜の花001