杜甫《惠義寺園送辛員外》 君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
740 《惠義寺園送辛員外》 蜀中転々 杜甫 <647> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3545 杜甫詩1000-647-903/1500〔草堂逸詩拾遺-(16)〕
作時:763年 廣德元年 杜甫52歳
卷別: 卷二三四 文體: 七言絕句
詩題: 惠義寺園送辛員外〔草堂逸詩拾遺-(16)〕
及地點: 惠義寺
(劍南道北部 梓州 郪縣)
交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 郪縣)
掲 載; 杜甫1000首の647首目-場面
杜甫ブログ1500回予定の-903回目
〔草堂逸詩拾遺-(16)〕
惠義寺園送辛員外
(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)
朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。
さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。
萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。
君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
『惠義寺園送辛員外』 現代語訳と訳註
(本文)
惠義寺園送辛員外
朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。
萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。
(下し文)
惠義寺の園 辛員外を送る
朱櫻 此日 朱實を垂る, 郭外 誰が家に 郭田を負わんか。
萬里 相い逢い握手を貪り,
高才 卻て筵を離るを足らんとするを望む。
(現代語訳)
(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)
さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。
君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
(訳注)
惠義寺園送辛員外
(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)
朱櫻 此日 垂 朱實 ,郭外 誰家 負郭田 。
さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。
「朱櫻」桜桃【おうとう】のこと。1㋐バラ科サクラ属の落葉小高木。晩春、葉より先に白い花をつけ、6月ごろ、球形で紅色の果実がなる。中国の原産で、日本へは明治初期に渡来。みざくら。しなみざくら。㋑食用になる桜ん坊。、中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[5]、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述がある。
「郭外」城郭都市(じょうかくとし)とは周囲を堀、土塁、城壁(市壁)などの防御施設によって囲んだ都市をいう。囲郭都市、城塞都市ともいい、城壁で囲んでいる場合は特に城壁都市をいう。
「郭田」 城郭内にある田畑。
萬里 相逢 貪 握手 ,高才
卻望 足離筵 。
君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
「萬里」おそらく長安で知り合っていたものであろう。長安から見て万里の先で出会ったことを云う。
「貪握手」久しぶりに出会ったことで手を取り合って喜びあったのだろう。