《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》
杜甫(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。
廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》 蜀中転々 杜甫 <650> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3560 杜甫詩1000-650-906/1500743
743 廣徳2年764-1
卷別: 卷二二○ 文體: 七言古詩
詩題: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖
〔韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌〕
〔曹霸官左武衛將軍。〕
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
及地點: 龍池 (京畿道 京兆府 長安) ・新豐宮 (京畿道 京兆府 驪山) ・金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)
交遊人物/地點: 韋諷 當地交遊(劍南道北部 益州 成都) ・曹霸 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-906回目
韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1
(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)
國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。
吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。
將軍得名三十載,人間又見真乘黃。』
ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』
曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。
将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。
內府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。
この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。
#2
碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。
貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。
#3
此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。
其餘七匹亦殊絕,迥若寒空動煙雪。
霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』
可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。
借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』
#4
憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。
騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。
自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。
君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』
(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1
國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。
將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃に乘るを見る。』
曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。
內府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。
#2
碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。
貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』
昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。
今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。
#3
此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。
其の餘 七匹 亦た殊絕し,迥として寒空 煙雪動くが若し。
霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』
憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。
借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』
#4
憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。
騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。
寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。
君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』
『韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註
(本文)
韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖
國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。
將軍得名三十載,人間又見真乘黃。』
曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。
內府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。
(下し文)
(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1
國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。
將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃に乘るを見る。』
曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。
內府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。
(現代語訳)
(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)
吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。
ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』
将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。
この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。
(訳注)
韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖
(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)
○韋諷録事 録事参軍韋諷。前年に『東津送韋諷攝閬州錄事』があり、後に諷が閬州にゆくのを送る詩『送韋諷上閬州錄事參軍』がある。
650五言律詩 《東津送韋諷攝閬州錄事》 蜀中転々 杜甫 <555> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3000 杜甫詩1000-555-794/1500
○宅 閬州の韋諷の宅。
○曹将軍 曹将軍覇で唐の左武衛将軍曹覇をいう、曹覇は魏の曹操の後商である、毫は画を以て魏の代に称せられた、曹覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。
○画馬図 これは九馬図をいう、後に宋に入り、この図は薛紹彰の家に伝わり、蘇東陂がその贅を作っている。
國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。
吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。
○国初 唐の開国の初め。
○巳来 以来。
○江都王 名を緒といい、霍王元軌の子で太宗のおいである。才芸に富み書画を善くした、鞍馬に名を接にし、官は金州刺史に至った。
將軍得名三十載,人間又見真乘黃。』
ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』
○将軍 曹覇。
○得名 画名を世間から得る。
○真乘黃 乘黃は神馬であり、この画に見える兵の駿馬の姿をさしていう。ただ「瑞応図」・「竹書紀年」・「山海経」などにみえる、又「穆天子伝」に「渠黄ノ乗」があり、この馬は一に飛黄ともいい、狐に似ていて背の上に両角があるという怪獣をいうばあいもある。詩意は江都王李緒を陪客として曹将軍の画馬に妙であることをのべるもの。
曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。
将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。
○貌 えがく。
○先帝 この詩では玄宗のこと。玄宗から粛宗、そして代宗になって二年目であるから、実際は先々帝になる。
○照夜白 玄宗の愛乗の馬の名。
○竜池 南薫殿の北にある池である。玄宗がまだ王であった時の故宅であったが、井戸があふれて池となり、深さ数丈、其の中より黄竜がおどり出ることがあった。玄宗は即位ののちここに興慶宮を建て池を竜池と呼んだ。南薫殿は唐の長安の南内である興慶宮内の正殿を興慶殿という、殿前に瀛州門があり、門内に南薫殿があり、殿の北には竜池がある。
○十日 画の期間である。
○飛霹靂 霹靂はいなずま、急疾の宵をいう、此の句は地中の竜が動きだしたことをいう、動きだしたことをいうのは将軍の画鳥が霊奇なのによってそれに感動したことをいうのである。
內府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。
この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。
○内府 御宝物の蔵。
○殿紅殿とは赤黒色のこと。
○馬腦碗 めのうの大皿。
○婕妤 倢伃(せつよ、慣用として「しょうよ」とよむ)は中国前漢以降の後宮における皇帝の側室の称号である。、正三品官で九人ある。
○才人 文芸・歌舞をもって後宮に仕えた女官。、正四品で七人ある。
○索 内府に就いて碗盤を索め取ることをいう。画はすでにかき終ってここはそれに対する賞賜物をさがし出すことをのべる所である。