杜甫《丹青引》曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。


2014年1月13日  の紀頌之5つのブログ
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746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

美女004
 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数しばしば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀せきちの下、迥かに閶闔しょうこうに立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素けんそを払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中うち】。

須臾しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻ぎょとうの上に在り、榻上 庭前屹きつとして相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人ぎょじん太僕たいぼく皆惆悵ちゅうちょうす。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡しばしばくす尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈かんらん其の身を纏うを。』

楊貴妃清華池002 

 

丹青引』 現代語訳と訳註

(本文)

丹青引,贈曹將軍霸

〔原注〕 贈曹将軍覇(曹将軍薪に贈る)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

 

 

(下し文)

(丹青の引、曹将軍薪に贈る)

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

 

(現代語訳)

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

 

(訳注)

丹青引

〔原注〕 贈曹将軍覇

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

杏の白花012 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

学書 書は文字の書法。

衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
miyajima0033221107930