杜甫《憶昔,二首之一》昔のことを憶って作る。「憶昔」というのは詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。


2014年1月23日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《答柳柳州食蝦蟆》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <931>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3639韓愈詩-241-#3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 263 《招揚之罦一首》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3641 (01/23)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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廣徳2764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/15007491

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中      

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

 

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

我れ昔 近侍にして奉引を叨し,出兵 整肅し當る可からず。

為留の猛士は未央を守り,使を致して岐雍 西羌を防ぐ。

犬戎 直ちに來り 禦林に坐し,百官 跣足し 天王に隨う。

願わくば見ん 北地 介子に傅し,老儒 尚書郎を用いず。

 

 

『憶昔二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

憶昔二首之一

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

 

(下し文)

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

 

(現代語訳)

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

(訳注)

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

「憶昔」詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に失政・遺憾の点のあることをいう。

粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。

 

 

憶昔 先皇 巡 朔方 ,千乘 萬騎 入 咸陽 。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

「先皇」謂肅宗。皇室稱謂、皇帝。

「巡」語義類別:人、行為動作、一般行為(辵部)、巡。

「朔方」朔方。

○ 7566,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.

○ 756613日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。

○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.

75607,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

75609,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.

このあたりは、黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

「咸陽」西側から攻め、咸陽側から長安に入城した。広い意味では咸陽≒長安ということ。

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陰山 驕子 汗血馬 ,長驅 東胡 胡 走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

「陰山」語義類別:地、地名、山嶺地名、陰山山脈。

「驕子」ウイグル、胡人。

「汗血馬」大宛国の駿馬。血のような汗をかくことでいう。杜甫の詩にはよくでる。朱汗 あかい汗、駿馬は血のあせを流すという。。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。房兵曹胡馬詩
胡馬
大宛名、鋒稜痩骨成。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
所向無空闊、真堪託死生。
驍騰有如此、万里可横行。
『房兵曹胡馬詩』 杜甫
杜甫『沙苑行』
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每
攻駒冠邊鄙。』

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

杜甫『洗兵行(洗兵馬)』
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

『洗兵行(洗兵馬)』#1
中興諸將收山東,捷書夜報
清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

 

鄴城 反覆不足 怪 ,關中 小兒 壞 紀綱 ,張后 不樂 上為忙 。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。粛宗の張皇后を結託し、専権を古い、上奏すべき意見や要望さえも取り次ぐこともしないで皇帝に不自由な生活を強いていたのだ。

「鄴城」行政地名、鄴城。(下図H5

「關中小兒」 李輔国(李輔國、り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。 元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閒を掌握、後に太子李亨に入侍した。宦官、五坊小兒が横暴な振る舞いをしていること。〔李輔國,閑馬家小兒。〕

「紀綱」刑責法規、法規、法。

「張后」張皇后(唐)。皇后張氏(?~762)

  唐の肅宗(李亨)の張皇后。鄧州向城の人。李亨が忠王のとき、宮に入り、良娣となった。安禄山が叛乱を起こすと、太子李亨に霊武にうつるよう勧めた。肅宗が立つと、寵愛を受けて淑妃となった。乾元元年(758)、皇后に立てられた。宦官の李輔国と結んで専権をふるった。建寧王李倓をひそかに殺し、太上皇(玄宗)を幽閉し、太子李豫の廃立をはかるなど、粛宗にも掣肘できなかった。のちに李輔国と権を争った。粛宗が危篤におちいると、越王李系を立てようとはかったため、李輔国と程元振が兵を率いて宮殿に入り、このとき殺された。

「不樂」粛宗が宦官と張皇后によって不自由な生活を強いられていた。

「忙」忙しいと天子に上奏を一切しなかった。。

洛陽・鄴州00 

 

至今 今上 猶撥亂 ,勞身 焦思 補 四方 。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

「今」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、今。

「今上」代宗のこと謂う。稱謂、皇室稱謂、皇帝。