(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)
憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。
746廣徳2年764年―6-#1 《憶昔,二首之二》
蜀中転々 杜甫 <656-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-656-1-924/1500 750-1
作時年: 764年 廣德二年 53歲
卷別: 卷二二○ 文體: 七言古詩
詩題: 憶昔,二首之一
作地點: 目前尚無資料
及地點: 朔方節度使 (關內道 靈州 朔方節度使) 別名:朔方 霊武
咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸
陰山 (關內道 豐州 陰山)
相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中
未央宮 (京畿道 京兆府 長安)
憶昔二首之一
(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)
憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。
昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。
陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。
陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。
鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。
しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。
至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。
しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。
我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。
私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。
為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。
したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。
犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。
吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。
願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。
願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。
憶昔二首之二
(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)
憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。
憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。
稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。
田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、
九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。
天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。
齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。
斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。
宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。
百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。
豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。
洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。
傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離說。
小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。
周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。
『憶昔二首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
憶昔二首之二
憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。
稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。
九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。
齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。
(下し文)
憶昔二首之二
憶う昔 開元の全盛なる日び,小邑 猶お藏し 萬家室とす。
稻米 脂を流し 粟米 白く,公私の倉廩【そうりん】俱に豐實たり。
九州の道路 豺虎無く,遠行にも勞せず吉日に出づるを。
齊の紈 魯の縞 車班班にし,男は耕し 女は桑す 相い失わず。
(現代語訳)
(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)
憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。
田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、
天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。
斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。
(訳注)
憶昔二首之二
(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)
憶昔とは、この詩の首二字をとって名づけたもの。広徳二年成都において作る。
憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。
憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。
○開元 開元の治のこと。 唐の玄宗の年号(713-741)。「開元の治」といわれ唐時代最高の時期といわれる。杜甫は712年生まれ。『丹青引』「開元之中常引見,承恩數上南熏殿。」(開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。)
○全盛 極盛のとき。
○小邑 小県。
〇万家 万戸。
○租庸調の重税と賄賂政治がない時代である。杜甫がこの制度の崩壊を『三吏三別』詩に触れている。
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稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。
田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、
○稲米 いねになっている米。
・粟米 もみの米。どちらも白く脂ぎって、豊作であったことをいう。
○倉廩 穀蔵を倉、米蔵を魔というと。
九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。
天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。
○九州 都を中心に九ブロックに分ける中華思想。天下というに同じ。
○豺虎 盗賊の類い。重税から逃れて、山野に住み農家を襲うもの。
齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。
斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。
○齊紈魯縞 斉(山東臨溜地方)の白いねりぎぬ。魯(山東臨溜地方)のしろぎぬ。
○班班 衆多のさま。物資を積んだ車が行き交うこと。






