杜甫《四松》#1 この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。
廣徳2年764-30 《四松》再び成都 杜甫<670> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764
764年二月に入って、いよいよ閬州を出発して、江陵に向おうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。
「草堂」の詩には、成都の草堂に帰ったときの様子を次のように詠っている。「入門四松在、歩履萬竹疏。」
(「門に入ると、わが手で植えた四本の松はちゃんとあったが、草履はきでぶらついてみると、密生していた竹はまばらになっている。)廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756
草堂に帰ってきた杜甫は、そこに腰を落ち着けて、畠を耕し薬草を栽培して暮らそうとしていたが、厳武は親しい友に野老暮らしをさせるに忍びなかったのか、杜甫を朝廷に推薦して、節度使の参謀・検校工部員外郎(工部の員外郎は従六品上の加官で、実際の仕事は節度使の参謀)とした。杜甫は仕方なく、成都城内の役所に出かけて、幕僚としての生活を始めた。
作時年: 764年 廣德二年 53歲
卷別: 卷二二○
文體: 五言古詩
詩題: 四松
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
四松 #1
(762年春に移植した4本の松)
四松初移時,大抵三尺強。
この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。
別來忽三載,離立如人長。
この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。
會看根不拔,莫計枝凋傷。
留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。
幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。
まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。
所插小藩籬,本亦有隄防。
この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。
#2
終然掁撥損,得吝千葉黃。
敢為故林主,黎庶猶未康。
避賊今始歸,春草滿空堂。
覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。
清風為我起,灑面若微霜。
#3
足以送老姿,聊待偃蓋張。
我生無根帶,配爾亦茫茫。
有情且賦詩,事跡可兩忘。
勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。
四松 #1
四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。
別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。
會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。
幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。
插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。
#2
終然とし 掁撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。
敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。
賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。
物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。
清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。
#3
送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。
我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。
情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。
矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。
『四松』 現代語訳と訳註
(本文)
四松 #1
四松初移時,大抵三尺強。
別來忽三載,離立如人長。
會看根不拔,莫計枝凋傷。
幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。
所插小藩籬,本亦有隄防。
(下し文)
四松 #1
四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。
別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。
會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。
幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。
插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。
(現代語訳)
(762年春に移植した4本の松)
この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。
この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。
留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。
まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。
この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。
(訳注)
四松---(762年春に移植した4本の松)
杜甫は、成都浣花渓に家と農園を作った。杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。
2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」
4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。
5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」
7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
番号は掲載順である。
そして、この地に761年春、
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と、挙げればきりがないほどこの地を愛した。それを最もよく表しているのが、『江畔獨步尋花七絕句』と『絶句漫興九首』である。この時期に庭に四本の「松」を植えたのである。
江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437>
其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500
その秋には台風によって茅葺の屋根を飛ばしている。
楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500
茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
この成都浣花渓での詩にはこの地が嫌になったとか、離れたいとか言った内容のものは皆無なのである。その愛すべきこの地の象徴は、草堂であり、最も安定した時期に植えた、「四松」であったのだ。
四松 初移 時 ,大抵三尺 強。
この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。
「四松」語義類別:其他、數詞、定量數詞、四。
「移」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、移。
「大抵」1 事柄の主要な部分。「事の―を知る」2 事柄のあらまし。だいたいのようす。また、全体のうちの大部分。おおよそ。おおかた。
「三尺」三尺強は、三尺は93cmであるから1m程度の高さがあったということ。
別來 忽 三載 ,離立 如人 長 。
この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。
「三載」三年。 762年~764年。
「離立」2本ずつを間隔を置いて並べて。
「人長」大人の背丈。
會看 根 不拔 ,莫計 枝 凋傷 。
留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。
幽色 幸 秀發 ,疏柯 亦昂藏 。
まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。
「幽」松の葉が松の葉を陰にするさま。濃い緑をさらに濃くするさま。
「昂藏」意気の盛んなさま。元気に成長。
所插 小 藩籬 ,本亦有 隄防 。
この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。
「藩籬」幹を守るため籬を立てて保護すること。
「隄防」川の傍であるため杭を打っておいたもの。