杜甫《寄賀蘭銛》(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。
廣徳2年764-45 《寄賀蘭銛》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3830 杜甫詩1000-669-960/1500779
作時年: 764年 廣德二年 53歲
卷別: 卷二二六
文體: 五言律詩
詩題: 寄賀蘭銛
作地點: 目前尚無資料
交遊人物: 賀蘭銛
寄賀蘭銛
(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)
朝野歡娛後,乾坤震蕩中。
一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。
相隨萬里日,總作白頭翁。
それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。
歲晚仍分袂,江邊更轉篷。
いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。
勿云俱異域,飲啄幾回同。
この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。
(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)
朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。
相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。
歳晩 仍お袂を分かち、江辺 更に転蓬なり。
云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。
『寄賀蘭銛』 現代語訳と訳註
(本文)
寄賀蘭銛
朝野歡娛後,乾坤震蕩中。
相隨萬里日,總作白頭翁。
歲晚仍分袂,江邊更轉篷。
勿云俱異域,飲啄幾回同。
(下し文)
(賀蘭銛【がらんせん】に寄す)
朝野 歓娯【かんご】の後なれば、乾坤 震蕩【しんとう】の中にあり。
相い随う万里の日、総て白頭翁と作る。
歳晩 仍お袂を分かち、江辺 更に転蓬なり。
云う勿れ 供に異域なりと、飲啄【いんたく】幾回か同じうせん。
(現代語訳)
(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)
一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。
それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。
いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。
この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。
(訳注)
寄賀蘭銛
(数か月前に別れをした賀蘭銛がまた訪ねてくれて、一献傾け、詩を交わし合った)
○賀蘭錆 事歴は評かでない。別にこの詩の数か月前に「贈別賀蘭銛」(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)詩がある。廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1
廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2
朝野歡娛後,乾坤震蕩中。
一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに755年安史の乱以降の騒乱がおこって天地が動き出した真っ最中に一緒した。
○歓娯 太平であった時をいう。「開元の治」の頃をいう。杜甫は仕官をしてはいなかったが、人的交流が最も多い時期であった。
○震蕩 ふるいうごく、755年安史の乱以降の騒乱の時をいう。
相隨萬里日,總作白頭翁。
それまでというのは、君とわたしとは万里の遠くまでというほど相随ってきたが、いまはふたりとも白髪頭のじいさんとなってしまった。
○相随万里日 「万里相随日」の意、日は時をいう。
○総 二人をくるめていう。
歲晚仍分袂,江邊更轉篷。
いまこうして50を超えて晩年といわれるようになってもやっぱり袂を分かたねばならないという。そのうえ此の蜀の江辺で轉蓬のように更にころがりあるくというのである。
○歳晩 としのくれ、前の贈別の詩は春のことである、思うに賀蘭銛は長安の状況により、年末まで出発できなかったのであろう。
○転蓬 根無し蓬が風に吹かれ、転がり歩く如く彷徨う。
勿云俱異域,飲啄幾回同。
この蜀の地はおたがいにとって、他郷の地ではあるのだから悲しいなどといってはいけない。こうやっていっしょに飲食することのできることはこれから幾度こうしてできるであろうか、この時をあのよかったころと同じように楽しもうではないか。
○俱異域 異域は郷土に対する他の地をいう、蜀の地をさす、供とは彼我二人をいう。
○飲啄 のみ、ついばむ、鳥の飲食することをいうことばである、これを人に用いるのは食べる御馳走がなくて、酒しかないということをあらわす。貧乏をしていること、苦しいことが言いたいという解釈をしているものがあるが、杜甫は結構この生活を楽しんでいる。