杜甫詩 (7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首
これまでの杜甫詩 (7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3865 杜甫詩1000-676-inDex-7/1500
これまでの杜甫詩 (7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3865 杜甫詩1000-676-inDex-7/1500
士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。 一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。 ◍ 華州、秦州、同谷 ◍ 成都 春満喫 ◍ 蜀州、巴州、転々。 ◍ 再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍ 忠州、雲州 ◍ 夔州 ◍ 公安 そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。 本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。
紀 頌之