杜甫詩 (13) 763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 96首 杜甫詩inDex-13
これまでの杜甫詩 (13)763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 96首 杜甫<682>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3895 杜甫詩inDex-13
763年の夏ごろから、杜甫は梓州刺史章彝(前任の杜済は綿州刺史に転じていた)の客分となり、その主催する送別や歓迎の宴に出席したり、遊覧・遊猟に随行している。杜甫の詩人としての名も、かなり揚がっていたらしく、彼はそれによって一家の生活を支え、また東下の旅費を蓄えていた。しかしこのころ、辺境の情勢は緊迫の度を加え、吐蕃の軍は長安に迫り、西南方面においては巴・蜀を圧迫していた。そうして、十月になるとついに長安に攻めこみ、代宗は東の方の陝州(河南省陝県)に逃げてしまった。しばらくして郭子儀が反撃に転じ、吐蕃軍は遁走したが、まさに安禄山の乱の再現かと思われた。
杜甫はそれらの情報を伝え聞きながら、今はただ一つしか残されていない東方への道、長江を下るべく、ひたすら旅の準備をととのえていた。その大部分は章彝の援助に頼るしかなかったため、彼は章彝とその幕僚の機嫌を損ねないように、言行を慎重にしていたらしい。そのためであろう、杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。
出発も間近に迫ったある日、都に帰った厳武のはからいであろうか、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずるとの連絡があった。しかし、すでに三峡を下って呉・楚の地に赴く決心をしていた杜甫は、それを辞退した。