杜甫詩 (14)764年廣徳2764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首 ふたたび成都


2014年3月16日の紀頌之5つのブログ
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
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杜甫詩 全詩INDEX02
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広徳二年(七六四年、甫五十三歳)春、杜甫はまた閬州に赴いた。前年の冬、郭子儀は長安を回復し、代宗は京に帰ったが、杜甫はこの春に至って始めてこのことを聞き、「京を収む」の作がある。また玄宗・粛宗の昔時を憤って「憶昔」二首がある。当時杜甫はいよいよ蜀を去って刑州(湖北省江陵県)の方に赴こうとした。「将に荊南に赴かんとして、李剣州に寄せ別る」の詩がある。

たまたま厳武が再び成都の尹として赴任して来たので、杜甫は成都に帰った。この時、先ず厳武に寄せた作数篇がある。また家族を率いて成都に向こう詩、草堂に帰って来たときの「春帰る」、「帰来」がある。またかの徐知道の反乱以来の兵卒の暴虐の状を述べ、兼ねて草堂に帰った喜びの情を述べた大作に「草堂」がある。また草堂の旧物である桃樹・四松・水檻・破船などを見て、各々これらにかけるに詩篇を以てした。

六月、杜甫は厳武の推薦をもって節度参謀、検校工部員外郎となり緋魚袋を賜わり、厳武の幕賓となった。当時の雄第としては曹覇の画馬に題する二篇の詩、厳武の庁事の「眠山陀江の図」を見る詩の他に題画の詩に富んでいる。杜甫は厳武の幕中にあったが、老境をもって壮年に伍するその間には感情の和せぬものがあり、杜甫は務めて和を貴んだが、少年輩のうちには猜疑をたくましくするものがあったもののごとくである。

この意はしばしば詩中に見える。この冬、旧友の蘇源明・鄭虔らが相い継いで没したと聞き、彼らを哭する詩があり、悲絶を極める。二人は杜甫の最も心に相い許した友であったのである。永泰元年(七六五年、甫五十四歳)正月、杜甫は厳武の幕僚たることをやめて浣花渓上に帰り、春の間少しく間遊することを得た。


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100首
-14 764年廣徳2年 杜甫53歳 100首 
707 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 -#1 
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  韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4 
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  杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ) 
710 南池-1 
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  憶昔,二首之二 #3  
713 釋悶 #1 
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714 贈別賀蘭銛 #1 
  贈別賀蘭銛 #2 
715 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #1 
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  別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #3 
  別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #4 
716 閬山歌 
717 閬水歌 
718 草堂 #1 
  草堂 #2 
  草堂 #3 
  草堂 #4 
  草堂 #5 
  草堂 #6 
  草堂 #7 
  草堂 #8 
719 四松#1 
  四松#2 
  四松#3 
720 破船ー#1 
  破船ー#2 
721 水檻―#1 
  水檻―#2 
722 揚旗―#1 
  揚旗―#2 
  揚旗―#3 
723 太子張舍人遺織成褥段―#1 
  太子張舍人遺織成褥段―#2 

724 觀李固請司馬弟山水圖,三首之一簡易高人意,
725 觀李固請司馬弟山水圖,三首之二方丈渾連水,
726 觀李固請司馬弟山水圖,三首之三高浪垂翻屋,
727 題桃樹小徑升堂舊不斜,
728 懷舊地下蘇司業,
729 有感,五首之一將帥蒙恩澤,
730 有感,五首之二幽薊餘蛇豕,
731 有感,五首之三洛下舟車入,
732 有感,五首之四丹桂風霜急,
733 有感,五首之五盜滅人還亂,
734 送李卿曄王子思歸日,
735 城上【空城】草滿巴西綠,
736 傷春,五首之一天下兵雖滿,
737 傷春,五首之二鶯入新年語,
738 傷春,五首之三日月還相鬥,
739 傷春,五首之四再有朝廷亂,
740 傷春,五首之五聞說初東幸,
741 奉待嚴大夫殊方又喜故人來,
742 奉寄高常侍【寄高三十五大夫】汶上相逢年頗多,
743 奉寄章十侍御淮海維揚一俊人,
744 將赴荊南寄別李劍州使君高義驅今古,
745 奉寄別馬巴州勳業終歸馬伏波,
746 泛江方舟不用楫,
747 陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一山豁何時斷,
748 陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二有徑金沙軟,
749 暮寒霧隱平郊樹,
750 雙燕旅食驚雙燕,
751 百舌百舌來何處,
752 遊子巴蜀愁誰語,
753 江亭王閬州筵餞蕭遂州離亭非舊國,
754 句,二首之一遲日江山麗,
755 句,二首之二江碧鳥逾白,
756 滕王亭子君王臺榭枕巴山,
757 玉臺觀中天積翠玉臺遙,
758 滕王亭子寂寞春山路,
759 玉臺觀浩劫因王造,
760 渡江春江不可渡,
761 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一得歸茅屋赴成都,
762 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二處處青江帶白蘋,
763 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】竹寒沙碧浣花溪,
764 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】常苦沙崩損藥欄,
765 將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】錦官城西生事微,
766 別房太尉墓他鄉復行役,
767 自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一汩汩避群盜,
768 自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二長林偃風色,
769 自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三行色遞隱見,
770 登樓花近高樓傷客心,
771 春歸苔徑臨江竹,
772 歸雁東來萬里客,
773 贈王二十四侍御契四十韻往往雖相見,
774 寄董卿嘉榮十韻聞道君牙帳,
775 寄司馬山人十二韻關內昔分袂,
776 黃河,二首之一黃河北岸海西軍,
777 黃河,二首之二黃河西岸是吾蜀,
778 寄李十四員外布十二韻名參漢望苑,
779 歸來客裡有所過,
780 王錄事許修草堂貲不到聊小詰為嗔王錄事,
781 寄邛州崔錄事邛州崔錄事,
782 過故斛斯校書莊,二首之一此老已云歿,
783 過故斛斯校書莊,二首之二燕入非旁舍,
784 立秋雨院中有作山雲行絕塞,
785 奉和嚴大夫軍城早秋秋風褭褭動高旌,
786 院中晚晴懷西郭茅舍幕府秋風日夜清,
787 到村碧澗雖多雨,
788 宿府清秋幕府井梧寒,
789 遣悶奉呈嚴公二十韻白水魚竿客,
790 送舍弟頻赴齊州,三首之一岷嶺南蠻北,
791 送舍弟頻赴齊州,三首之二風塵暗不開,
792 送舍弟頻赴齊州,三首之三諸姑今海畔,
793 嚴鄭公階下新松弱質豈自負,
794 嚴鄭公宅同詠竹綠竹半含籜,
795 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻沱水流中座,
796 晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟湍駛風醒酒,
797 初冬垂老戎衣窄,
798 至後冬至至後日初長,
799 村雨雨聲傳兩夜,
800 軍中醉飲寄沈八劉叟酒渴愛江清,
801 送司馬入京群盜至今日,
802 收京復道收京邑,
803 巴西聞收宮闕送班司馬入京聞道收宗廟,
804 陪鄭公秋晚北池臨眺北池雲水闊,
805 哭台州鄭司蘇少監故舊誰憐我,
806 送王侍御往東川放生池祖席東川詩友合,
    
江畔独歩尋花