この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

 


廣徳2764-53 《有感,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<729 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3975 杜甫詩1500-729-966/250017

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廣徳元年(763)  10月、

吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  12月 吐蕃軍が去った。吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

 


廣徳2年(764)

吐蕃軍が長安へ入った時、 諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、 これを討たせたのだが、 数ヶ月掛けても鎮圧できない。

僕固懐恩が叛旗を翻した。

3月、己酉の日、劉晏を河南、江、淮以来転運使として、 汴水の水路を開くことを計画した。

7月、代宗皇帝は青苗銭という税を取りはじめる。

  8月、僕固懐恩はウイグルと吐蕃兵十万を誘って侵攻して来た。 長安は震感した。

  僕固懐恩と10万の吐蕃軍のは 奉天に迫った。首都・長安は震撼し、 急いで郭子儀が涇陽に駐屯させられた。

 


「有感,五首」はこうした情勢を憂いて作ったものである。

 


有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。至今勞聖主,何以報皇天。 

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。乘槎斷消息,無處覓張騫。   

 


有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。不過行儉德,盜賊本王臣。

 


有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 


有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。   

 


 


これまでとこれからの杜甫詩 (14)764年廣徳2年764 杜甫53歳 三月成都へ帰る 100

-14

 

764年廣徳2年 杜甫53歳 100

 

年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之一 

 


 


有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有歲年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


華州から秦州同谷成都00 


『有感,五首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之一 

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

至今勞聖主,何以報皇天。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

乘槎斷消息,無處覓張騫。

 


(下し文)

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る。

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

 


(現代語訳)

(その一は西域のことについて思うことがある)

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(訳注)

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

其一は、代宗が長安から陜州へ逃げ、吐蕃やウイグル対策を講じようとしないで、そのまま都を洛陽に遷都しようとしたことをいう。

 


將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

・「將帥」大軍を統率する人。大将。

・「恩澤」〔古くは「おんだく」とも〕 めぐみ。いつくしみ。おかげ。

・「兵戈」戰爭活動、戰爭。

 


至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、始祖から続いてきた皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

・「勞」つかれる いたわる ねぎらう。1 精を尽くして働く。骨折り。2 精が尽きて疲れる。3 ねぎらう。4「労使・労農・労連」5すなどる。つとむ

・「聖主」聖主。 現在の代宗は苦労すること。

・「皇天」唐の始祖、太祖をいう皇帝。

 


白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。

雲台二十八将

光武帝の事業を助けた功臣団として「雲台二十八将」がある。第2代の明帝が前代の名臣28人の像を洛陽南宮の雲台に描かせ、その功績を称えたものである。序列順に挙げると

鄧禹、呉漢、賈復、耿弇、寇恂、岑彭、馮異、朱祜、祭遵、景丹、蓋延、銚期、耿純、臧宮、馬武、劉隆、馬成、王梁、陳俊、杜茂、傅俊、堅鐔、王覇、任光、李忠、萬脩、邳彤、劉植

28人である。

また、雲台には二十八将と並び李通、竇融、王常、卓茂の4人も加えられ、計32人が顕彰された。「雲台三十二将」と称することもある。

なお、功臣の一人である馬援は、その娘が明帝の皇后となったため(明徳馬皇后)外された。

 


乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

・「張騫」張騫は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。張騫が持ち帰った西域の知識は極めて貴重なものであり、それまで漢にとって全くと言って良いほど状況が解らなかった西域が、これ以降は漢の対匈奴戦略の視野に入ってくることになる。この功績により太中大夫とされる。
鳳翔から華山長安付近