大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

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廣徳2764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

 

 

製作年:764  廣德二年  53 ID14-736

卷別:巻十三 (卷二二八)  文體: 五言古詩 

詩題: 傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】 

製作作地: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

 

 

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

 

『傷春五首〔一〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

(現代語訳)

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(訳注)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)これは収京の事実を知ってからかきそえた文句なのだ。したがって、詩のなかにはすこしも収京を知ったことにふれていない。○傷春 寿げしきを見て心をいたましめたこと、代宗がお逃げになられたことを悲しんだものである。

○巴閬 巴蜀、閬州をいう。

○傷春罷 この「傷春」の詩をつくりおわったことをいう。

○春前 春より以前に。(76312月)

○収宮闕 長安の宮門をとりかえす。吐蕃は広徳元年十月に長安を陥落させ、十二月に退却した。代宗は十二月に還京されたことをいう。

 

天下兵雖滿,春光日自濃。

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

 

西京疲百戰,北闕任群凶。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

○西京 天下の二京のなかでも特別な都である長安。この時、代宗は長安が西域異民族(ウイグルと吐蕃)に近いため洛陽【東都】を都にしようとしていた。この聯は、つまり、逃げる事ばかり考えていたということ。

〇百戦 たびたびの戦。

○北闕 北方の披(わき)の門、北というのは禁苑に面した門で、攻めやすいし、逃げやすいのでこういう。吐蕃侵入の方位である。

○群兇 多くのわるもの。吐蕃を導き入れた高暉・王献忠の輩をさす。「通鑑」に、「広徳元年、冬十月、吐蕃、京畿を陥る、渭北行営兵馬使呂月将、精卒三千を将いて吐蕃と蟄屋に戦い擒にせらる、又た涇州刺史高暉・射生将王献忠等、吐蕃を迎えて長安に入れ、郡王守礼が孫の承宏を立てて帝となす、」とみえる。

 

關塞三千里,煙花一萬重。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。(だから客観情勢がよく見える。)

○関塞 閬州のとりでをさす。

○三千里 長安よりの距離。

○煙花 煙を帯びた春の花。

〇一万重 多くかさなってみえる。

 

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

○蒙塵 天子の逃げだされたこと。

○清路急 清路は御通過の路すじをはききよめること、急とは掃除の暇のないことをいう。○御宿 天子の宿泊されるとこるが陜州という敵に見つかりにくい所ではあるが、縁もゆかりも少ない所であること。

○供 唐王朝の御先祖に対する政を放棄することは、国を放棄するのとおなじことである。

 

殷複前王道,周遷舊國容。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

○殷復 殷の武丁(高宗)は行いを修めて先王の政を復した。

○周遷 遷すのは「旧国容」(古き良き時代の国の姿かたち)である、国のすがたがかわったということ、周ははじめ鏑に都したが、犬戎に攻められ、平王のとき東方の洛邑に都をうつした。都を遷すのは、それによってよき施政を行うためである。先祖に恥ずかしくないのかということである。仁徳を忘れ、好き嫌いの政治を行っていることが前提にある。

 

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

○蓬莱 唐の大明宮の大掖池の中にある御殿の名。唐の宮中の象徴的存在で、大明宮のほぼ中心にあった。

○足雲氣 風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところである。

○応合 二字で「まさに云云すべし」。

○総 雲気のすべてが。

○従竜 「易」(文言)に「雲は竜に従い、風は虎に従り」とあり、竜は天子に此し、雲は群臣に比する。杜甫はこれまで玄宗をよく龍に喩えていた。