日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)
廣徳2年764-62 《傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】》ふたたび成都 杜甫<738> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4020 杜甫詩1500-738-975/250026
([唐書]の抜粋)
廣徳元年(763) 10月、
吐蕃が涇州へ来寇した。涇州刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が数え切れないほどであった。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。
代宗は『士を募って朝廷へ集まれ。朕の悪が改まらないと思うのなら、帝王の大器を天下の聖賢へ譲ろう。』と号令したが、それでも兵がやって来ず、人々も感動せず、天下が服従しなかった。
12月 略奪の限りを尽くした吐蕃軍が戦力を整えるため引き去った。(この詩ではこの情報が伝わっていない。)ただ、吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。
廣徳2年(764)
吐蕃軍が長安へ入った時、 諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。
子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、 これを討たせたのだが、 数ヶ月掛けても鎮圧できない。
僕固懐恩が叛旗を翻した。
3月、己酉の日、劉晏を河南、江、淮以来転運使として、 汴水の水路を開くことを計画した。
7月、代宗皇帝は青苗銭という税を取りはじめる。
8月、僕固懐恩はウイグルと吐蕃兵十万を誘って侵攻して来た。 長安は震感した。
僕固懐恩と10万の吐蕃軍のは 奉天に迫った。首都・長安は震撼し、 急いで郭子儀が涇陽に駐屯させられた。
傷春,五首 〔三〕
(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)
日月還相鬥,星辰屢合圍。
日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)
不成誅執法,焉得變危機。
ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。
大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。
今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。
煙塵昏禦道,耆舊把天衣。
いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。
行在諸軍闕,來朝大將稀。
行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。
賢多隱屠釣,王肯載同歸。
賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。
傷春,五首 〔三〕
日と月 還た相い鬥い,星辰 屢ば合い圍う。
執法を誅するを成らずして,焉ぞ危機を變ずるを得んや。
大角 兵氣を纏い,鉤陳 帝畿を出づ。
煙塵 禦道を昏くし,耆舊 天衣を把む。
行在 諸軍の闕,來朝する大將 稀れなり。
賢の多くは屠釣に隱れ,王 肯えて 同歸するに載せんや。
『傷春,五首 〔三〕』 現代語訳と訳註
(本文)
傷春,五首 〔三〕
日月還相鬥,星辰屢合圍。
不成誅執法,焉得變危機。
大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。
煙塵昏禦道,耆舊把天衣。
行在諸軍闕,來朝大將稀。
賢多隱屠釣,王肯載同歸。
(下し文)
傷春,五首 〔三〕
日と月 還た相い鬥い,星辰 屢ば合い圍う。
執法を誅するを成らずして,焉ぞ危機を變ずるを得んや。
大角 兵氣を纏い,鉤陳 帝畿を出づ。
煙塵 禦道を昏くし,耆舊 天衣を把む。
行在 諸軍の闕,來朝する大將 稀れなり。
賢の多くは屠釣に隱れ,王 肯えて 同歸するに載せんや。
(現代語訳)
(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)
日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)
ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。
今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。
いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。
行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。
賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。
(訳注)
傷春,五首 〔三〕
(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)
杜甫は宦官と奸臣たちに、相当立腹していることがわかる詩である。昔から、政治の在り方、政治組織をせいざにたとえてひはんにいうものである。
日月還相鬥,星辰屢合圍。
日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)
○日月・闘 日蝕のことをいう。古書には不吉。大乱を予知するものとされるが、ここでは、ただしいことを天子に諫言せねばならないことをいう。
○星辰屢合圍 「漢書」(天文志)に、高祖の七年に月章の参・畢(星宿の名)を囲むこと七重、とみえる。朝廷の百官は危機に際して一致して(囲んで)お守りし、お助けせねばならないことをいう。この時、朝廷の者は逃散して組織的に天子を守ることをしなかった。中には、吐蕃軍を迎い入れたもの、盗賊になったものが多数いたことをいう。
○合圍 つつんでかこむこと。
不成誅執法,焉得變危機。
ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。
○執法 吐蕃来寇の道案内をした涇州刺史の高暉は宦官の程元振と示し合わし、長安を陥落させ、パニックを起こした悪人であること。また、唐王朝軍・六軍をだまし、逃散させたのも程元振と高暉の宦官勢力であった。この頃宦官の数も6000人を超えたとされ、軍隊化していた。
○危機 国家の危い場合。
大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。
今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。
○大角 北斗七星の南東に橙色に輝く、牛飼い座のα(アルファ)星アルクトゥルスの中国名。麦星(むぎぼし)。大微(天帝の朝廷に当たる星座)の中で、黄帝(土徳を示す)の星座は常に明るく輝いて いる。五行始祖の中心をなすものである。星宿図中央にある紫微宮(しびきゅう)の天体図を、中国漢代には長安の都に描いている。「史記」(天官書)に大角は天王の帝廷なり、とみえる、大角をもって帝王の居る所にかたどったもの。
○兵気 いくさの気。
○鉤陳 八将神のこと。『甘泉賦』に「詔招搖與泰陰兮,伏鉤陳使當兵。」とあり、天子を取り巻く八将神に敬語をさせるということである。
揚雄 《甘泉賦 》 文選 賦<108-(3)#1-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩856 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2828
煙塵昏禦道,耆舊把天衣。
いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。
○煙塵 兵乱のちり。
○禦道 天子のおとおりになるみち。
○耆舊 老人、民間の父老。
○把 つかまえて前へやるまいとひきとめること。
○天衣 天子の御衣。
行在諸軍闕,來朝大將稀。
行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。
○行在 行在所、陜州の代宗のかりみやをさす。
○来朝 朝は朝廷へでむくことをいう。
○大将 天子をおまもりするための地方の武将。
○稀 百官や六軍が逃散したので、天子が兵を募集したが集まらず、家臣たちも天子のもとに参朝するものがなかったことをいう。
賢多隱屠釣,王肯載同歸。
賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。
○賢 賢人。
○隠屠釣 周代の政治家、姓は呂、名は尚、字は子牙である太公望は、牛を朝歌(地名)に屠り、渭水の磻渓で釣りをしていて、周の文王に見いだされ、先君太公の望んでいた賢人だとして太公望とよばれたといわれる。文王・武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、その功によって斉に封ぜられた。兵書「六韜(りくとう)」の著者ともいわれる。
○王 天子(代宗)。