(此の篇は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。
廣徳2年764-64 《傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】》ふたたび成都 杜甫<740> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4030 杜甫詩1500-740-977/250028
傷春五首(春を傷む)
(春が来ても心は痛む)
〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。
(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(763年12月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)
傷春五首〔一〕
〔一〕(代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの)
天下兵雖滿,春光日自濃。
西京疲百戰,北闕任群凶。
關塞三千里,煙花一萬重。
蒙塵清路急,禦宿且誰供。
殷複前王道,周遷舊國容。
蓬萊足雲氣,應合總從龍。
傷春,五首 〔二〕
(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)
鶯入新年語,花開滿故枝。
天青風卷幔,草碧水通池。
牢落官軍速,蕭條萬事危。
鬢毛元自白,淚點向來垂。
不是無兄弟,其如有別離。
巴山春色靜,北望轉逶迤。
傷春,五首 〔三〕
(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)
日月還相鬥,星辰屢合圍。
不成誅執法,焉得變危機。
大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。
煙塵昏禦道,耆舊把天衣。
行在諸軍闕,來朝大將稀。
賢多隱屠釣,王肯載同歸。
傷春,五首 〔四〕
(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)
再有朝廷亂,難知消息真。
近傳王在洛,複道使歸秦。
奪馬悲公主,登車泣貴嬪。
蕭關迷北上,滄海欲東巡。
敢料安危體,猶多老大臣。
豈無嵇紹血,沾灑屬車塵。
傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)
(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)
聞說初東幸,孤兒卻走多。
難分太倉粟,競棄魯陽戈。
胡虜登前殿,王公出禦河。
得無中夜舞,誰憶大風歌。
春色生烽燧,幽人泣薜蘿。
君臣重修德,猶足見時和。
傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)
(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)
聞說初東幸,孤兒卻走多。
きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。
難分太倉粟,競棄魯陽戈。
募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。
胡虜登前殿,王公出禦河。
その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。
得無中夜舞,誰憶大風歌。
れほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。
春色生烽燧,幽人泣薜蘿。
こ昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。
君臣重修德,猶足見時和。
天子も官僚たち、家臣臣もろともに重ねて仁徳を修めることである。そうすれば季節が変わって行く様にまだ時世の平和を見ることに充分なってゆくものであって、決しておそくはないのである。
傷春,五首 〔五〕
聞く説【なら】く 初めて東幸せしとき、孤児 却走せしもの多かりきと。
分かつを難【はばか】る 太倉の粟【ぞく】、競いで棄つ 魯陽の戈。
胡虜 前殿に登り、王公 御河に出づ。
「中夜の舞」無きを得んや、誰か憶わん「大風の歌」を。
春色あるも烽燧【ほうすい】に生じ、幽人は薜羅【へいら】に泣く。
君臣は重ねて徳を修めれば、猶お時和を見るに足らん。
『傷春,五首 〔五〕』 現代語訳と訳註
(本文)
傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)
聞說初東幸,孤兒卻走多。
難分太倉粟,競棄魯陽戈。
胡虜登前殿,王公出禦河。
得無中夜舞,誰憶大風歌。
春色生烽燧,幽人泣薜蘿。
君臣重修德,猶足見時和。
(下し文)
傷春,五首 〔五〕
聞く説【なら】く 初めて東幸せしとき、孤児 却走せしもの多かりきと。
分かつを難【はばか】る 太倉の粟【ぞく】、競いで棄つ 魯陽の戈。
胡虜 前殿に登り、王公 御河に出づ。
「中夜の舞」無きを得んや、誰か憶わん「大風の歌」を。
春色あるも烽燧【ほうすい】に生じ、幽人は薜羅【へいら】に泣く。
君臣は重ねて徳を修めれば、猶お時和を見るに足らん。
(現代語訳)
(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)
きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。
募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。
その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。
これほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。
昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。
天子も官僚たち、家臣臣もろともに重ねて仁徳を修めることである。そうすれば季節が変わって行く様にまだ時世の平和を見ることに充分なってゆくものであって、決しておそくはないのである。
(訳注)
傷春 五首〔五〕
聞說初東幸,孤兒卻走多。
きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。
○聞説 他人の説くのを聞くこと、「聞道」と同意。
○東幸 代宗が長安より逃がれて東の方陜州に行幸した。
○孤児 漢の時、「軍に従いて事に死する者」の子を取って羽林(禁軍)に養いこれに武技を教え、これを「羽林孤児」と号した、ここは近衛軍をさす。
○却走 しりぞきはしる。
難分太倉粟,競棄魯陽戈。
募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。
○難分 難ははばかる、それを容易にできないようにすること。分は分給すること。
○大倉 天子のおこめぐら。これを守備管理していたのは宦官の軍隊である驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて手を出せなかったことをいう。
○粟 もみのままの米。
○競棄 きそいあらそうてすてる。
○魯陽戈 「淮南子」に魯陽公、韓と戦いて日暮る、文を援きて之を磨けば日返ること三舎(一合は三十里)なり、との話がみえる、魯陽戈は落ちかかる太陽を呼び返す方法であり、劣勢を挽回する武器の意に用いている。
胡虜登前殿,王公出禦河。
その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。
○胡虜 異民族のえびす、吐蕃をさす。
○前殿 大明宮紫微殿。
○御河 天子の巡幸中に属する河。河は黄河、隣州は黄河のほとりにある。
得無中夜舞,誰憶大風歌。
これほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。
○中夜舞 晋の祖逖の故事、祖逖之誓のことをいう。 •命がけの決意。目的が達成されるまでは生きて帰らないという、命がけの誓い。•東晋の祖逖が、夜鶏が鳴くのを聞き、飛びあっておき上がり、ひと躍りして、これは非常の知らせであると、異民族討伐に出陣する際、目的を果たさなければ二度と帰らないと誓った故事からの語です。
○大風歌 漢の高祖が天下を平らげてのち故郷の浦に帰り宴をなしたとき作った歌である。その歌にはいう、 漢の高祖(劉邦)『大風歌』
大風起兮雲飛揚。 威加海内兮歸故鄕。 安得猛士兮守四方!
(大風の歌) 大風起きて 雲飛揚す。 威は 海内に 加わりて 故鄕に歸る。 安(いづ)くにか 猛士を 得て 四方を 守らしめん!
「天下は一統したが猛士を得て四方を守りさらに平和をつづけてゆきたいものだ」との意を述べた歌である。このような、天下平定の業が終えかけている時に、郷里の沛を通って村のみんなに酒を振る舞い、健児・漢児を得て、高祖自らが筑を持って舞い歌ったという、得意の絶頂期の作とも謂えるものである。
春色生烽燧,幽人泣薜蘿。
昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。
○烽燧 昼ののろし火と夜ののろし火、或はその逆ともいう、危急を報知するあいずに用いるもの。
○幽人 幽静にくらす人、隠遁者、自己をさす。
○薜蘿 つたかずら、山中にあるもの、隠退生活の象徴である。
君臣重修德,猶足見時和。
天子も官僚たち、家臣臣もろともに重ねて仁徳を修めることである。そうすれば季節が変わって行く様にまだ時世の平和を見ることに充分なってゆくものであって、決しておそくはないのである。
〇時和 いまの時、世の平和。