玉臺觀 二首 之一》杜甫≫山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

        
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廣徳2764-81 《玉臺觀 二首 之一》杜甫index-14 764年<757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4115 杜甫詩1500-757-994/250045

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 玉台觀 二首 之一

作地點: 山南西道 閬州 

及地點:  玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)   

 

 

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

更肯紅顏生羽翼,便應發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。


王屋山00 

 

『玉台觀 二首 之一』 現代語訳と訳註

(本文)

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

 

(下し文)

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

(現代語訳)

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(訳注)

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

○玉台観 閬州城北七里玉台山にある道教の寺で膝王の造ったものである、観内にある台を玉台という、山は台によって名を得たものであろう。

 

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

○中天 九天の真中をいう、空の中だから高い空の部分に玉台山に寺観が建つことをいう。

○積翠 翠微がつみかさなっている。山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていること。翠微は鬱蒼と茂る山の中腹。

○玉台 山の名前。玉台は道教において上帝の居る所と称される、観内の台はそれに象って造ったものである。

○上帝高居 玉台をさす、高居は高いところの住居である。

○緯節朝 緯節はえび色のはた、朝とは参朝すること、上帝のところへもろもろの仙官たちが敬礼のため経節をたでて参朝する。

 

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

○馮夷 河をつかさどる神のような仙人である。

○撃鼓 魏の曹植の「洛神賦」に「馮夷鼓を撃つ」とある。

渼陂行

岑參兄弟皆好奇,攜我遠來遊渼陂。

天地黯慘忽異色,波濤萬頃堆琉璃。』

琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。

鼉作鯨不複知,惡風白浪何嗟及。』

主人錦帆相為開,舟子喜甚無氛埃。

鳧鷖散亂棹謳發,絲管啁啾空翠來。』

沉竿續蔓深莫測,菱葉荷花淨如拭。

宛在中流渤澥清,下歸無極終南黑。』

半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。

船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。』

此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。

湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。』

咫尺但愁雷雨至,蒼茫不曉神靈意。

少壯幾時奈老何,向來哀樂何其多?』

 

渼陂行  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66

〇嬴女善吹簫 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

○江光 嘉陵江の水のひかり。

○隠見 みえたりかくれたり。

○電篭 おおがめ、よろいがめ。

○石勢 江中の石のありさま。

○参差 たがいちがいのさま。

○烏鵲橋 「准南子」に烏鵲が河を埋めて橋をつくり織女を渡したとの古伝説がみえる、「江光」二句は台外の景をいう。

 

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

○紅顔 少年の血色のよいかおをいう。

○生羽翼 つばさが生え天へ飛べるようになること。

○黄髪 白髪がさらにすすむと当時はそんなに洗髪しないので黄色を呈する。

○老漁樵 漁樵は隠遁した老人、仙人をいい、年とることをいう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

華山001 ---------------------------------------

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子

作地點:目前尚無資料 

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。