763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/250053

 

 

        
 2014年5月6日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護発言事件(事件)」である。しかしこの「事件」により、堪え、苦しみ、詩人として格段の成長を遂げることになるのである。最も注目すべき事柄である。

 この「祭故相國清河房公文が強烈な朝廷批判であるために同時期に作られた

763年の三首

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

廣徳2764の《別房太尉墓》

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

が極端にゆるい追悼の詩文にしたのは房琯個人にだけ向けられたものであるということ、杜甫が「文」と「詩四首」を使い分けをしたということである。

 この「祭故相國清河房公文」の分割は必ずしも押韻に寄らず、杜甫の主張に基づいたものに依った。


 

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

  ⑧ 悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

  ⑨ 悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

①  720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

② 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

③ 722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

④ 廣徳2764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

⑤ 855 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

856 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

●文

⑥ 奉謝口敕放三司推問状

⑦ 祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

 

○関連
杜甫人生のエポックメーキングの事件
、「房琯擁護発言事件(房琯事件)」房琯に関する詩は9首あり、関連の詩が5首ある。特に上記①~⑦の詩文の前後の作品は杜甫の心境を推し量るものとして注目している。杜甫の人生を変えた、この事件を多様に、有機的に、大局的にもとらえてゆく。


 

別房太尉墓

(前の宰相房琯太尉の墓に別れをつげる。)

複行役,駐馬別孤墳。

ここはすでに他郷であるが、それに自分はここからふたたびたびにでかけるのである。因って馬をとどめて房大尉のさびしいこの墳墓にお別れをする。

無干土,低空有斷雲。

自分の悲しみはどんなであるか、苛も自分の涙のおちるところに近い場所には乾いた土というものは無く、空低くぶら下がってちぎれ雲がみえているのである。
對棋陪謝傅,把劍覓徐君。

自分は謝太博ともいうべき房大尉の生前に陪席して碁のおあい手をしたことがある。いま大尉を慕うこころもちは呉の季札が徐国の君をもとめてその墓に自己の剣をとってかけようとしている時のそれのようなものである。しかし大尉はいない、大尉は語らない、

唯見林花落,鶯啼送客聞。

ただただ、林の花がはらはらと落ちちり、自分を送るために鶯が噂きごえを聞かしてくれるのみである。

(房大尉の墓に別る)

他郷復た行役し、馬を駐めて孤墳に別る。

涙に近きは土無く、空に低れて断雲有り。

対棋 謝傅に陪しき、剣を把りて徐君を覓む。

惟だ見る 林花の落つるを、鶯啼 客を送りて聞かしむ。

 

 

祭故相國清河房公文

(1)(前文)

維唐廣德元年次癸卯犯九月辛丑朔二十二日壬戌,京兆杜甫,敬以醴酒茶藕鯽之奠,奉祭故相國清河房公之靈曰:
 

(唐は優れた宰相達により繁栄を築いた。)

(2)一段目-1

「嗚呼!純樸既散,圣人又歿;

非大賢,孰奉天秩?

唐始受命,群公間出;

君臣和同,德教充溢。

(3) 一段目-2

魏杜行之,夫何畫一;

婁宋繼之,不墜故實。

年間,見有輔弼;

及公入相,紀綱已失。

 

(綱紀が失われ打ち壊された国家を救おうとした房琯公)

(4) 二段目-1

將帥干紀,煙塵犯闕;

王風寢頓,神器圮裂。

關輔蕭條,乘輿播越。

太子即位,揖讓倉卒;

小臣用權,尊貴倏忽。

(5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

累控直詞,空聞泣血。

時遭綅沴,國有征伐;

車駕還京,朝廷就列;

盜本乘弊,誅終不滅;

高義沈埋,赤心蕩折。

貶官厭路,讒口到骨;

致君之誠,在困彌切。

 

(房琯公は退けられ、病に憑かれた)

(6)三段目-1

天道闊遠,元精茫昧。

偶生賢達,不必際會;

明明我公,可云時代。

賈誼慟哭,雖多顛沛;

仲尼旅人,自有遺愛。

(7) 三段目-2

二圣崩日,長號荒外;

後事所委,不在臥

因循寢疾,憔翠無悔;

夭閼泉涂,激揚風

天柱既折,安仰翊戴?

地維則,安放夾載?

 

(国を思い、清廉で徳のある人房琯公対して朝廷は非礼をかえしている)

(8)四段目-1

豈無群?我心忉忉。

不見君子,逝水滔滔。

泄涕寒谷,吞聲賊壕;

有車爰送,有紼爰操。

撫墳日落,劍秋高;

我公戒子,無作爾勞。

(9) 四段目-2

斂以素帛,付諸蓬蒿;

身瘞萬里,家無一毫。

數子哀過,他人郁陶;

水漿不入,日月其忄舀。

州府救喪,一二而已;

自古所嘆,罕聞知已。

 

(退けられた房琯公の無実を晴らすことが出来なかった。)

(10)五段目-1

曩者書札,望公再起;

今來禮數,為態至此。

先帝松柏,故梓;

靈之忠孝,氣則依倚。

(11) )五段目-2

拾遺補闕,視君所履;

公初罷任,人實切齒

甫也備位此官,蓋薄劣耳;

見時危急,敢愛身死?

君何不聞,刑欲加矣;

伏奏無成,終身愧恥。

 

(長安での戦は収まらず、房琯公の棺は故郷に帰ることが出来るのだろうか)

(12)六段目-1

乾坤慘慘,豺虎紛紛。

蒼生破碎,諸將功勛;

城邑自守,鼙鼓相聞。

山東雖定,灞上多軍;

憂恨展轉,痛傷氤氳。

(13) 六段目-2

元豈正色?白亦不分;

培婁滿地,昆侖無群。

致祭者酒,陳情者文;

何當旅櫬,得出江?

(末文)

嗚呼哀哉!尚饗!

 

(故の宰相清河房公を祭る文) 

(1)(前文)

維れ唐の廣德元年 癸卯に次る、犯九月辛丑朔、二十二日壬戌,京兆にある杜甫は,敬んで醴酒、茶 藕 鯽の奠を以って,故の相國清河房公の靈を祭り奉りて曰く:

 

(2)一段目

「嗚呼!純樸は既に散じ,圣人も又た歿す;

しくも大賢に非ずんば,孰か天秩を奉ぜん?

唐の始めに命を受けしは,群公 間出す;

君臣 和同し,德教 充溢す。

(3)

魏 杜 之を行う,夫れ何ぞ一を畫す;

婁 宋 之を繼ぎて,故實を墜さず。

 年間,輔弼有るを見る;

公の相に入るに及び,紀綱 已に失わる。

(4)

將帥 紀を干し,煙塵 闕を犯す;

王風 寢頓し,神器 圮裂す。

關輔 蕭條として,乘輿 播越す。

太子即位され,揖讓され倉卒されたり;

小臣 權を用い,尊貴 倏忽【しゅっこつ】たり。

(5)

公 實に匡救せんとし,餐を忘れて奮發す;

累【かさ】ねて直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんれい】に遭い,國 征伐有り;

車駕 京に還り,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅するも終に滅びず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

官を貶せられ路を厭がれ,讒口され 骨に到る;

君に致すの誠,困に在りて彌々切なり。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文) (1)(前文)

 祭故相國清河房公文

維唐廣德元年次癸卯

犯九月辛丑朔二十二日壬戌,

京兆杜甫,敬以醴酒茶藕鯽之奠,

奉祭故相國清河房公之靈曰:

 

(下し文)

(故の宰相清河房公を祭る文) 

(1)(前文)

維れ唐の廣德元年 は癸卯に次る、犯九月辛丑朔、二十二日壬戌,京兆にある杜甫は,敬んで醴酒、茶 藕 鯽の奠を以って,故の相國清河房公の靈を祭り奉りて曰く:

 

(現代語訳)

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

唐の廣徳元年癸【みずのと】卯【う】763年である。

月を越え、辛丑が月はじめ(朔)である九月の二十二日の壬戌の日。

長安でお世話になった杜甫が、ここにつつしんで醴酒、茶・レンコンなどのジュンサイ、鯉フナなどの三品をお供えいたします。

今は啼き、宰相であり、清河郡公であった房琯公の霊をお祭り奉り、次のように申し上げる。

杜甫詩年譜INDEX00 

(訳注) (1)(前文)

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦⑧ 悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152によって房琯を貶されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

⑨ 悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

 

維唐廣德元年次癸卯

唐の廣徳元年癸【みずのと】卯【う】763年である。

〇癸卯 干支の組み合わせの40番目で、前は壬寅、次は甲辰である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の卯は陰の木で、相生(水生木)である。西暦年を60で割って43が余る年が癸卯の年となる。したがって763年となる。

 

犯九月辛丑朔二十二日壬戌,

月を越え、辛丑が月はじめ(朔)である九月の二十二日の壬戌の日。

〇辛丑(かのとうし、しんちゅう)は、干支の一つ。干支の組み合わせの38番目で、前は庚子、次は壬寅である。陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の丑は陰の土で、相生(土生金)である。

〇壬戌(みずのえいぬ、じんじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの59番目で、前は辛酉、次は癸亥である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の戌は陽の土で、相剋(土剋水)である。

 

京兆杜甫,敬以醴酒茶藕鯽之奠,

長安でお世話になった杜甫が、ここにつつしんで醴酒、茶・レンコンなどのジュンサイ、鯉フナなどの三品をお供えいたします。

京兆 漢代に京畿の行政区域をいう。随唐で函谷関以西の長安地方をいう。杜甫が華州司功参軍に貶せられ、官を辞したことは、房琯は認識していた。 

醴酒 あまざけ。

茶藕鯽 お茶、レンコン・ジュンサイ、フナ

 

奉祭故相國清河房公之靈曰:

今は啼き、宰相であり、清河郡公であった房琯公の霊をお祭り奉り、次のように申し上げる。
蜀中転々圖