安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。


        
 2014年5月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

 

 

(綱紀が失われ打ち壊された国家を救おうとした房琯公)

(4) 二段目-1

將帥干紀,煙塵犯闕;

高官、武将元帥たちは、綱紀をおかし、戦さの塵はいつ起こってもおかしくないほど朝廷をおかしていたのだった。

王風寢頓,神器圮裂。

唐王朝の格調高い風気はとどこおってゆきづまり、天子のカをしめす宝貴は裂けこわれてしまった。

關輔蕭條,乘輿播越。

安史の乱は関中の補給路を断絶し、都は飢餓におちいり、蕭条と風が抜けていくほど荒廃してしまった。玄宗の御輿は遠く成都へと行幸され、おうつりになったあいだのことである。

太子即位,揖讓倉卒;

皇太子が即位され粛宗となられたが、その礼儀の次第は玄宗が知らぬ間にあわただしくとりおこなわれた。

小臣用權,尊貴倏忽。

しかし、その功績により、宦官の李輔国は権力をほしいままにふるいはじめた。こうして貴い人々はたちまちおとしめられてゆくのである。

 (5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

累控直詞,空聞泣血。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

時遭綅沴,國有征伐;

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

車駕還京,朝廷就列;

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

盜本乘弊,誅終不滅;

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

高義沈埋,赤心蕩折。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

貶官厭路,讒口到骨;

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

致君之誠,在困彌切。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。

 

(4) 二段目-1

將帥 紀を干し,煙塵 闕を犯す;

王風 寢頓し,神器 圮裂す。

關輔して 蕭條たり,乘輿して 播越す。

太子 即位するも,揖讓は 倉卒たり;

小臣 權を用し,尊貴は倏忽【しゅっこつ】たり。

(5) 二段目-2

公 實に匡救し,忘餐 奮發す;

累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;

車駕 京に還し,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;

君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。

 

祭故相國清河房公文』 現代語訳と訳註

(本文)(5) 二段目-2

公實匡救,忘餐奮發;

累控直詞,空聞泣血。

時遭綅沴,國有征伐;

車駕還京,朝廷就列;

盜本乘弊,誅終不滅;

高義沈埋,赤心蕩折。

貶官厭路,讒口到骨;

致君之誠,在困彌切。

yuugure02 

(下し文)
(5) 二段目-2

公 實に匡救し,忘餐 奮發す;

累ねて 直詞を控え,空しく泣血を聞く。

時に綅沴【しんしん】に遭し,國 征伐する有り;

車駕 京に還し,朝廷 列に就く;

盜は本【もとも】と弊に乘じ,誅 終に滅せず;

高義 沈埋し,赤心 蕩折す。

貶官され 厭路さる,讒口 骨に到る;

君に致すの誠は,困に在りても彌【やや】切なり。

 

 

(現代語訳)

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。

 

(訳注) (5) 二段目-2

祭故相國清河房公文

(もと宰相であって、清河郡の刺史であった房琯公を祭る文をつくる。)

宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

 

公實匡救,忘餐奮發;

房公は心から国家を救おうとして、食事も忘れて奮闘努力をされた。

 

累控直詞,空聞泣血。

度重なる諫言を奉り控えられた、お聞き入れのないままに血の涙をまじえて天子に申し上げた。

〇直詞 天子に直に諫言する、上申書を奉ること。

 

時遭綅沴,國有征伐;

その頃は国を滅ぼすほどの悪気に遭遇していたけれど、国中に広がった戦いを征伐することができた。

〇綅沴 国を滅ぼすほどの悪気

〇征伐 長安を安史軍から奪還したことをいう。

75511月に始まった安史の乱は763年のこの文の年には終了している。

 

車駕還京,朝廷就列;

天子(玄宗・粛宗)の御車は都長安にお帰りになられ、百官はみな朝廷の列位についた。

 

盜本乘弊,誅終不滅;

安史軍(安禄山・安慶緒ら)は、もとより唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱したので、頭目を誅殺しても本拠地から体制を立て直してきて滅ぼすことが出来ない。

〇盜本乘弊 安禄山は唐王朝の弊害に乗じて起すべくして反乱した。王朝が奢侈と頽廃、律令制が崩壊し、潘鎮を抑えることが出来なくなってきたこと。

〇誅終不滅 国の東部から北部にかけて安史軍の拠点であり、長安洛陽を奪還してもそのまま攻め込むことが出来ず、度々洛陽を落された。

 

高義沈埋,赤心蕩折。

儒者の房公の気高い義は発揮されず沈み埋もれ、嘘いつわりのない心持はうちくだかれてしまった。

〇高義 儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。

〇赤心 嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。「―を吐露する」赤心を推して人の腹中に置く。

 

貶官厭路,讒口到骨;

陳涛斜の敗北を理由に官位を貶せられ、路をふさがれた上に、房琯公に対する讒言は骨にまでこたえるほど巌しいものであった。

〇讒口 儒者の房琯に対して李白が翰林院に仕えたころから発せられていた。宦官の影響力は次第に強くなってゆく。

 

致君之誠,在困彌切。

しかし、我が君にお捧げ申し上げる忠誠心は、このような困難な時においても、いよいよ深くなるばかりだった。
杜甫像00