そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

        
 2014年5月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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杜甫『乾元元年華州試進士策問五首』

Q-1

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,辨乎名物,存乎有司,是謂公賦知歸、地著不撓者已。今聖朝紹宣王中興之洪業於上,庶尹備山甫補袞之能事於下,而東寇猶小梗,率土未甚辟,總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,子等以待問之實,知新之明,觀誌氣之所存,於應對乎何有,佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,意蓋在此矣,得遊乎?

Q-2

問:國有軺車,廬有飲食,古之按風俗、遣使臣,在王官之一守,得馳傳而分命。蓋地有要害,郊有遠近,供給之比,省費相懸。今茲華惟襟帶,關逼輦轂,行人受辭於朝夕,使者相望於道路,屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。況軍書未,王命急宣,插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。人主之軫念,屢及於茲;邦伯之分憂,何敢怠?乞恩難再,近日已降水衡之錢;積骨頗多,無暇更入燕王之市。欲使軒有喜,主客合宜,閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,側佇嘉論,當聞濟時。

Q-3

問:通道陂澤,隨山濬川,經之理,疏奠之術,抑有可觀,其來尚矣。初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,洎後代控引淮海,漕通涇渭,因舟楫之利,達倉庾之儲。又賴此而殷,亦行之自久。近者有司相土,決彼支渠,既潰渭而亂河,竟功多而事寢。人實勞止,岸乃善崩。遂使委輸之勤,中道而棄。今軍用蓋寡,國儲未贍,雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。是以國朝仗彼天使,徵茲水工,議下淇園之竹,更鑿商顏之井。又恐煩費居多,績用莫立,空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。若然,則舟車之用,大小相妨矣;軍國之食,轉致或闕矣。矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。子等飽隨時之要,挺賓王之資,副乎求賢,敷厥讜議。

Q-4

問:足食足兵,先哲雅誥,蓋有兵無食,是謂棄之。致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。況寇猶作梗,兵不可去,日聞將軍之令,親睹司馬之法。關中之卒未息,灞上之營何遠?近者鄭南訓練,城下屯集,瞻彼三千之徒,有異什一而。竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,課乃菽麥,以為尋常。夫悅以使人,是能用古,伊則雲暮,實慮休止,未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

洛陽 函谷関002 

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
(1)Q-1
-#1(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。
故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

辨乎名物,存乎有司,

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

 (2) Q-1-#2

今聖朝紹宣王中興之洪業於上,

庶尹備山甫補袞之能事於下,

而東寇猶小梗,率土未甚辟,

總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。

(3)Q-1-#3

人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。

欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,

子等以待問之實,知新之明,

觀誌氣之所存,於應對乎何有,

佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,

意蓋在此矣,得遊乎?

 

(1)Q-1-#1

乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

(3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊得んや?

 DCF00106

 

『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註

(本文) (1) Q-1-#1

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

辨乎名物,存乎有司,

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

 

(下し文)

Q-1 -(1)

乾元元年 華州にて進士を試さる策問五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

 

(現代語訳)

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

京兆地域図00 

(訳注)

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということ、正解の策でどう導くかということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。 

 

Q-1 -(1)(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

・肥磽 肥沃であると痩せている。

・差 等級をつけること。

 

故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

 

給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

・奉養祿食之出 官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費。

 

辨乎名物,存乎有司,

各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

・辨 ふりわける。弁別すること。

 

是謂公賦知歸、地著不撓者已。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

・地著 人民か土地に住み着くこと。
denen03350