杜甫が房琯を擁護発言をしたその理由が明確に述べられた唯一の論文である。当時の経済政策、第五琦、賀蘭進明の主張した租庸調政策、惡貨多量鋳造の結果インフレーションが激しくなり、加えて飢饉には人民を苦しめた。同じ時期の『三吏三別』と一緒に読まれることをお勧めする。 

 
 2014年6月12日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-20 《古風五十九首之十》Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳237古風,五十九首之十齊有倜儻生, <Index-20> Ⅰ李白詩1158 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4338 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-8(4段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1071>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4339韓愈詩-403-8(4段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-376《更漏子二首其二》孫光憲(36)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-559-14-(376) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4342 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

乾元元年華州試進士策問五首 (まとめ)

 

杜甫『乾元元年華州試進士策問五首』

Q-1

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,辨乎名物,存乎有司,是謂公賦知歸、地著不撓者已。今聖朝紹宣王中興之洪業於上,庶尹備山甫補袞之能事於下,而東寇猶小梗,率土未甚辟,總彼賦之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦未能充備矣。欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,子等以待問之實,知新之明,觀誌氣之所存,於應對乎何有,佇渴救敝之通術,願聞強學之所措,意蓋在此矣,得遊乎?

Q-2

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

問:國有軺車,廬有飲食,古之按風俗、遣使臣,在王官之一守,得馳傳而分命。蓋地有要害,郊有遠近,供給之比,省費相懸。今茲華惟襟帶,關逼輦轂,行人受辭於朝夕,使者相望於道路,屬年無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。況軍書未,王命急宣,插羽先翥於騰鷹,敝帷不供於埋馬,豈芻粟之勤獨爾,實驂騑之價闕如。人主之軫念,屢及於茲;邦伯之分憂,何敢怠?乞恩難再,近日已降水衡之錢;積骨頗多,無暇更入燕王之市。欲使軒有喜,主客合宜,閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,側佇嘉論,當聞濟時。

 

Q-3

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

問:通道陂澤,隨山濬川,經之理,疏奠之術,抑有可觀,其來尚矣。初聖人盡力溝洫,有國作為隄防,洎後代控引淮海,漕通涇渭,因舟楫之利,達倉庾之儲。又賴此而殷,亦行之自久。近者有司相土,決彼支渠,既潰渭而亂河,竟功多而事寢。人實勞止,岸乃善崩。遂使委輸之勤,中道而棄。今軍用蓋寡,國儲未贍,雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。是以國朝仗彼天使,徵茲水工,議下淇園之竹,更鑿商顏之井。又恐煩費居多,績用莫立,空荷成雲之鍤,複擁填淤之泥。若然,則舟車之用,大小相妨矣;軍國之食,轉致或闕矣。矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。子等飽隨時之要,挺賓王之資,副乎求賢,敷厥讜議。

 

Q-4

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,蓋有兵無食,是謂棄之。致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。況寇猶作梗,兵不可去,日聞將軍之令,親睹司馬之法。關中之卒未息,灞上之營何遠?近者鄭南訓練,城下屯集,瞻彼三千之徒,有異什一而。竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,課乃菽麥,以為尋常。夫悅以使人,是能用古,伊則雲暮,實慮休止,未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

Q-5

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

 

 

(1)Q-1-#1

乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。

問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。

故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,

郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには

名物を辨じ,乎司を存す。

是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。

(2) Q-1-#2

今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,

庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,

而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。

彼の賦の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。

(3) Q-1-#3

人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦未だ充備する能わず。

將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,

子等 待問の實,知新の明を以ってす,

誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。

佇して救敝の通術を渴し,願わくば強學の措す所を聞かん,

意は蓋し此に在り,遊得んや?

 

 

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)Q-1

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (3) Q-1-#3 杜甫index-14 764年 (3) Q-1-#3 杜甫<767 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4240 杜甫詩1500-767-1019/2500index-21

 

次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。

そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。

天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。

各々の上地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。

これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

 

今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。

周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。

しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。

そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をにまかなうこと。これこそは官か大下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。

 

人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。

そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。

これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。

その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。

生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。

諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。

 

(4) Q-2

問う:國には 軺車有り,廬には 飲食有り。

古には之れ 風俗を按じ、使臣を遣す,

王官は之れ一守に在り,馳傳は而して分命を得。

蓋し地は 要と害 有り,郊は 遠と近 有り。

供と給は 之れ比するものなり,省と費は 相いに懸るものなり。

 

今 茲れ華は惟れ襟帶なり,關は輦轂に逼る。

行人 辭を朝夕に受け,使者 相い望んで道路に於いてする。

屬【このごろ】年 蓄積の虞【そな】え無く,職司 愁痛の歎有り。

況んや軍書 未だえず,王命 急に宣せらる。

插羽 先づ 騰鷹に翥し,敝帷 埋馬に供えざるなり,

豈に芻粟の勤 獨りありしか,驂騑の價 闕如するを實らん。

 

人主の軫念、屡々茲に及び、

邦伯の分憂、何ぞ嘗て敢えて怠らんや。

恩を乞ふは再びし難く、近日已に水衡の賤を降さる。

積骨頗る多く、更に燕王の市に入るに暇無し。

輶軒をして喜び有らしめ、主客をして宜しきに合せしめ、

閤閣をして抒軸の嗟きを罷めしめ、官吏をして従容の計を得しめんと欲す。

側ちて新居を佇つ。当に時を済うを開くべし。

 

 

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (6) Q-2-#3 杜甫index-14 764年 (6) Q-2-#3 杜甫<770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4255 杜甫詩1500-770-1022/2500index-21

 

策問する、国には国軍の隊列に導軺車に続いて軍事物資を運ぶ従軺車を用意するようになっている。そうすることで軍隊の一宿衛、軍営するところで飲食物をとることができる。(府兵制の崩壊以後募兵によるものであることをいう。)

四書五経など古くから上達下達に関してのしきたりは決められた方法で行うということで、まず、使節を派遣することについていう。

地方をいくつかに分けて、まず王を置くと、王という官職はその一国を守ることであり、通常通達は駅伝制により命令をあちこちに配布できるようにさせ、王から、州府へ、県令へと分担して通達される。

それからその王の領地に要の地と害の地があるということ、要の地は郊外とし遠郊と近郊によって守りの役割を分けた。

そこで、土地によって中央への供するものと給付とこれを正当に比較するのである。省くものと必要不可欠な消費物資についてもそれぞれ関係性を考えて分けていくことである。

 

天子はこの資金不足のことに心痛めておられ、そしてしばしば朝儀でこのことに及んでおられた。

州・郡・縣刺史かこの資金不足の憂えを分かち合うことを、今までなんら怠っていたわけではない。

しかし、天子の恩恵を乞うことはこれ以上望めないのである。なぜなら、直近のこと水衡の銭の鋳造の命が下されたばかりだからである。

確かに死んだ馬の骨はすこぶる多く高く積まれた、燕王の市の故事のいう「死馬且買之五百金」に入る暇もない。

天子の下知の使節には満足を与え、往来の主客にはしかるべき処遇をすること。

民衆には織物を納めると手元には何も残らないという嘆きを終わりにさせ、官吏にはゆったりできる方策を考えてもらいたいのである。

私は慎んで諸君の新しい意見を待ち望む、きっと今の時代を難儀から救う手だてを聞けるだろうと期待するところである。

 

(7) Q-3

問う:道を通じ 澤を陂ぎ,山に隨い川を濬う,

理あり,疏奠の術ある,

抑も觀る可き有り,其の來れるや尚し。

初め聖人 溝洫に盡力し,國に隄防を為すを作す有り,

後代に洎んで 淮と海を控引し,涇渭を漕ぎ、通ず,

因って舟楫の利あり,倉庾の儲を達す。

 

又た此に賴りて殷んに,亦た之を行うこと自ら久し。

近者 司 相いに土有り,彼の支渠を決す,

既に渭を潰して河を亂し,竟に功多くして事寢す。

人 實に勞止し,岸 乃ち 善く崩す。

遂に委輸の勤めをせしめ,中道にして棄てしむ。

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3-#4 杜甫index-14 764年 (10) Q-3-#4 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275 杜甫詩1500-774-1026/2500index-21

策を問う、道を通ぜしめ、・沢や沼をふさぎ、山に沿い河を深くさらう。

そのように、古から、道を切り開く工法やふさがっている所をくりぬいて通じさせる土木術策があるのである。

そもそも見るべき手本があり、その由来は久しいものかある。

古代、聖人は田畑をめぐる溝を作ることに力を尽くし、国家は国力を高めるために堤防を次々に築いた。

後代になってからは、江南の物資を洛陽長安に大量輸送のために淮水と長江を結んだ山陽瀆、舟運のため涇水と渭水の間は穀倉地帯であり灌漑用水と運河を作ったのである。

これによって、引き船法であるとか、航行法の策定により水運の利益が増大した、当然、天子の御蔵と穀物蔵には貯蔵を栄えさせたのだ。

 

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

Q-4 (食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

 

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

Q-5

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫index-14 764 (22) Q-5-#9 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

 

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

下って十室の邑に至り,必ず千鍾の藏有らしめん。

苟しくも凶穰之を以ってし,賤 失度を貴う。

丞相を封ぜらると雖も猶お困しみ,大農を侯とするも何をか謂わん?

是に以って繼し 表微す,或いは逾越を區分する無かれ,

蒙 實に不敏なり,仁 遠く 何ん?

 

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

 

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

 

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

 

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

 

百歩譲っても、十戸ほどの村でさえもコツコツとまじめに働き蓄えをしてゆくものであるし、それが千の蔵にいっぱいの備蓄されるようにするのが政治である。

いやしくも凶作や豊作が対策もないままに極点に達し、穀物価格の貴賤が統制を失っているのが、今の現状である。

漢の田千秋のように大抜擢をして丞相に封じても、民衆は困苦するだろうし、大農令を諸侯にしてもどうすることもなっていない。(穀物価格の急騰を抑える政策をとる必要があることをいう。そしてここには、第五琦を大抜擢して宰相にしたが、租庸調の国家収縫う葉支出とのバランスを崩し、貨幣の乱造はインフレに、塩の専売は人民苦になった大失敗である。なぜ房琯の主張をとりいれなかったのか、という主張が隠されている)

だから諸君よ、安史の乱で傷んだ国を再興し、絶えた家系を継続させ、微かなものであってもそれを表してほしい。こまごまと区別して優れた意見をためらってはいけない、また分を乗り越えていいので述べてほしい。

呂蒙は本当に俊敏な少年ではなかったが、努力して瞬く間に進歩する者にとって、仁を大切にしたことで遠くはなかったのである。

三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。