「房琯擁護事件」は、賀蘭進明、第五埼による増税高負担、ご都合主義と暗躍、陰険、朝廷の私物化、専横のための鋳造資金の宦官勢力、早く長安洛陽を奪還するためには唐王朝財政を破綻させる破壊的好条件のウイグル援軍採用策の粛宗という三者の思惑が一致したことから、はじき出されたのが房琯一党で、その真っ最中に、杜甫が起したことなのである。

 
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玄宗は受け入れていた房琯の政策は十分妥当性を持っていた。杜甫はそれが正しいと思っていたから、房琯を擁護し、弁護した。その意見を親である、玄宗・上皇が認めていることから、その息子である肅宗は、嫉妬といら立ちを募らせて激昂したのである。

兵力増強のために貨幣を発行するというのは歴史の必然であるがそれは一時的なもの限定的にされなければいけない。ところが、仏像をとかし、銅の比率を1/50と著しく低くしてそれを俸禄の支払い、朝廷、宦官の専横のために使用される。

 

租庸調のうち、租は大飢饉で徴収できず、庸調は売って現金にする。それがどこかに行って朝廷には入らない。倉庫に収められたものが根こそぎ安史軍に持っていかれる。江淮の備蓄、現金を利用して永王璘が叛乱を起すという事態は唐の築き上げてきた制度と組織を無視した、第五琦・賀蘭進明の間違った政策に原因がある。

 

杜甫は死んでも、その間違った政策を指摘しようとしたのである。房琯が軍事的素養に長けていたら、事態はもっと良い方に展開したであろう。陳濤斜、青坂の大敗は房琯の説得力を完全に奪った。

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 (3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 (4)

時論許琯必、位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀琯之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而性失於簡,酷嗜鼓琴。

(5)

董庭蘭今之琴工,游琯門下有日,

貧病之老,依倚為非,

琯之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文)

(3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

 

(下し文)

(3)

猾逆 未だ除かれず,愁痛 過ぎ難し,

猥廁【わいそく】して 袞職【コンショク】し,愿んで少しくも裨補す。

窺かに房琯を見るに、宰相の子を以て、少くして自ら樹立し、晩に醇儒と為る。大臣の体有り。

(現代語訳)

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 

 

(訳注) (3)

猾逆未除,愁痛難過,

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

 

猥廁袞職,愿少裨補。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

猥廁 卑猥で厠のようにげすといわれようと必死にする。

袞職【コンショク】: 天子の天職、即ち国家を統治する職.

 

竊見房琯,以宰相子,少自樹立,

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

 

晚為醇儒,有大臣體。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。
三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。