あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 
 2014年6月23日の紀頌之5つのブログ 
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廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》 杜甫index-14 764年將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二 杜甫<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395 杜甫詩1500-762-1050/2500

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(現代語訳)

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 

 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

 

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

○清江 錦江をさす。春の増水のきれいな流れをいう。

○帯 うねりながらもっていることをいう。

○白頻 浮草の大なるもので、田字草または四葉菜というもののことという。夏から秋にかけて白い花をつける。杜甫「麗人行」「楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。」

歐陽舍人炯『南子八首 其八』

 白石爛 淚 黑貂裘

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

翡翠のごとく、鵁鶄【こうせい】のごとく,白蘋【はくひん】の香の裏【うち】に小さき沙汀す。

島上 陰陰として秋雨の色になり,蘆花 撲し,數隻 漁の舡何處に宿せんか。

○故園 通常、故郷のことをいうが、ここでは成都浣花渓に作った農業施設をいう。

 

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

○雪山 大雪山、西山。雪嶺山脈。

○斥候 敵の状況や地形などを探ること。また、そのために部隊から派遣する少数の兵士。吐蕃の侵入に対する物見のこと、斥は度(はかる)、候は視(みる)。

○無兵馬 冠乱のないことをいう、厳武の力によるのである。

○錦裏/錦里 錦江の里、浣花村。

○逢迎 杜甫が厳武を迎えること、人を迎えれば必ずこれと逢い見る。

○主人 この地域の地主(地かたのあるじ役)の意としてみるのである。或は隣里の人とみるものもある。

 

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

○休怪 武に対する語である。

○児童 自家のこどもら。

○鵜鴨 がちょう、あひる、自家がやしなうところの水禽。

○此隣 近所の人家をいう、自分の家を中心に東西南北の五家を比となし、また東西南北の五家を隣となす。

 

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

○賞 習池のさまを賞美することをいう。

○更新 今回は二度めであることから「あらた」という。