錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。
廣徳2年764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500
草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。
將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。
錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。
昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。
側身天地更懷古,回首風塵甘息機。
共說總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。
(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首 其の五)
錦官城西生事微なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。
昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。
身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。
共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。
『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首』 現代語訳と訳註
(本文)
將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。
錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。
昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。
側身天地更懷古,回首風塵甘息機。
共說總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。
(下し文)
(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首 其の五)
錦官城西生事微なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。
昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。
身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。
共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。
(現代語訳)
(草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。)その五
錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。
昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。
自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。
あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。
(訳注)
將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。
(草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。)
錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。
錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。
○錦官城 成都の城をいう。
○西 草堂のある浣花村は城の西にあたる。
○生事 生理に同じ、生計の事をいう。○生理 くらしむきのこと。
将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四
常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。
新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。
生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。
三年奔走空皮骨,信有人間行路難。
○微 かすか、振興せぬこと、貧乏なことをいう。
○烏皮幾 烏羔(くろびつじ)の皮を張った脇息(きようそく)をいう、平生につかうもの。
○在 草堂に存在している。
○還 亦に同じ、此の字は上旬の「生事徴」からかかる、「生事雄レ徴亦」の意。
昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。
昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。
○昔去 去とは成都をさったこと。徐知道が乱する直前の頃で不穏な世情であった。
○乱兵入 徐知道の乱兵の侵入。
○非 昔日の状態ではないことをいう、或は逃亡し、或は死去する。
側身天地更懷古,回首風塵甘息機。
自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。
○側身 からだをかたがわへよせること、身を容れる地のないさま。
○懐古 昔の治まった時代を思う。
○風塵 兵馬のちり、前年の騒乱をいう。
○甘心にあましとする、満足すること。
○息機 磯心(からくりのこころ)をやめること。「荘子」(天地)に子貢が漢陰を過ぎたときに一の老人が要を抱いて田に水をそそいでいるのを見た、子貢がはねつるぺを用いたならば力を用いることが少くして功を見ることが多いであろうといったところ、老人がいうのに、機械ある者は必ず機事あり、機事ある者は必ず機心あり、機心胸中に存すれば純白備わらず云云と。ここでは心を器用にはたらかさぬ意に用いている。
共說總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。
あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。
○共説 諸家に明解がない、浦氏が「家人共二説キ敦ク勧ム」といっているのは取らぬ、思うに草堂の主客が相い共に説くことをいうのであろう、作者は此の時まだ厳武の参謀とはなっておらず(参謀となったのは六月のこと)、草堂においでは作者は主人、厳武は客である。
○総戎 軍をすべるもの、節度使をいう、厳武をさす。
○雲鳥陣 「握奇経」に八陣をといて、天・地・風・雲を四正、飛竜・巽虎・鳥翔・蛇蜂を四奇としている。種種の陣形をいう、これは吐巷を防禦するについて画策することをいう。○不妨 妨げない、さしつかえない。
○遊子 たびのもの、作者自己をさす。
○芰荷衣 屈原の 「離騒」に「芰荷ヲ製シテ以テ衣ヲ為ル」とみえる、ひし、はすの葉をとりつづって衣をつくったもの、隠遁者の服である。