ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 
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廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 登樓 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  錦江 (劍南道北部 益州 成都)     

玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

 

 

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

 

『登樓』 現代語訳と訳註

(本文)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

 

(下し文)

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

(現代語訳)

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

 

(訳注)

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

○楼 成都の城楼であろう。

 

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

○客心 旅ごころ。

〇万万 諸方。

○多難 難とは天下兵乱の難。

○此 高楼をさす。

○登臨 高きに登って下に俯し臨む。

 

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

○錦江 眠江の支流で流江ともいう。郫県の西より分流し、府城の東南に至り、郫江に合し、折れて西南の彰山県界に入る。

○来天地 来とは来たり生ずる意であろう、此の句の句法は「春従天上來」のごとき意を用いたものであろう。和気の発生をいって暗に下の「朝廷不改」の伏線とする。

○玉塁 山の名、灌県の西北にあり、唐の貞観年中に関を其の下に設けた、吐蕃往来の衝に当たるところである。

○浮雲 うかんでいるくも。

○変古今 古今ともに雲の変化があるの意、雲変は騒乱の象である。景を叙して暗に下の「遥盗相侵」の伏線とする。

 

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

○北極 北辰に同じ、北辰は自己は其の所に居て動かず、衆星がこれに向かって扶する所のものである、故に朝廷の位をこれに此する。

○不改 改易ないことをいう。

○西山 雪山。雪嶺山脈

○寇盗 吐蕃をさす。

○相侵 相の字は相互の意にはかぎらず、こちらに関係があれば相といってさしつかえない、「相い侵す」といっても吐蕃のみがこちらへ侵入して来ることをいう。車実は広徳元年十月、吐蕃が長安を陥れ代宗は出奔し、郭子儀の力によって十二月長安に還った。またこの月に吐蕃は局の方面にあっては松・維・保の三州を陥れたが、高速はこれを救うことができなかった。

 

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

○可憐 憫然同情の意を起こすこと。

○後主 蜀の後主劉禅をいう、蜀先主廟は中央室に先主、西室に諸葛武侯、東室に後主を祀ったという。

○還詞廟 遠は亦に同じ、後主のような不肖のものでも亦た嗣廟に祭祀をうけることをいう。一説に代宗を後主の暗愚に此するというのは甚だしく体を失するというものではないか。

○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。

新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。

この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。

水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』

酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。

主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。

自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。

 

(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)

新亭結構罷む 隠見す清湖の陰(みなみ)

跡は台観の旧なるに籍()る 気冥(くら)くして海岳深し

円荷 昔よりするを想う 遺堞(いちょう)今に至るに感ず』

芳宴 此の時具(そなわ)る 哀糸千古の心

主は称して尊客に寿す 筵秩(えんちつ)北林に宴す

蓬蓽(ほうひつ)の興を阻(へだ)てず 梁甫の吟を兼ぬることを得たり』