(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 
 2014年7月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
416-#4 《示爽》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1110>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4534韓愈詩-416-#4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor4-415《天仙子二首其二》皇甫松Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-598-4-(415) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4537 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

《過故斛斯校書莊,二首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

 

 

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

杜甫草堂詳細図02 

 

『過故斛斯校書莊,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

(現代語訳)

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

江畔独歩尋花 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

 

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

此老 この老人、即ち斛斯融のこと。

已雲歿 もはや亡くなったということではある

 その死について嘆くこと。

 

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

宣室召 もはや亡くなったということである。

茂陵求 司馬相如は晩年に茂陵に住んで、そこで病気になった。病気の状態は悪かったが、武帝は相如に著書を求めた。司馬相如が死んで、その妻に問いて封禅のことを言える遺書を持ち帰った。それで、死後官を授けられたことをいう。

 

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

寄他食 よそへ居候に行ってしまっている。

非昔遊 昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

 

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

繐帷在 霊室に布のとばりが垂れている。

淅淅 風の音。