杜甫≫過故斛斯校書莊,二首之二≫今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

 
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過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

竹林001 

『過故斛斯校書莊,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

(現代語訳)

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

江畔独歩尋花

 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

杜甫草堂詳細図02

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

旁舍 となりのいえ。

故池 もとのいけ。

 

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

斷橋 途絶えた橋。

 橋に渡した板。

柳自生枝 柳の枝がひとりでに枝を伸ばしている。

 

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

山陽作 竹林の七賢がいたところ。中国・魏(三国時代)の時代末期に、河内郡山陽(河南省新郷市輝県市と焦作市修武県の間あたり)の竹林によくたむろしていた。ここでは、嵆康が死んでから、向秀が山陽を通り、思舊賦を作ったこと指す。

鮑叔知 斉の管中、鮑叔が「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり。」ことにもとづき、斛斯融を以て、鮑叔とした。

 

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

素交 もとからの交わり。