草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。
《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500
製作年: 764年 廣德二年 53歲
卷別: 卷二二八 文體: 五言古詩
戸少陵集 巻十四
詩題: 到村
到村
(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764年 廣德二年 53歲の作。)
碧澗雖多雨,秋沙先少泥。
浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。
蛟龍引子過,荷芰逐花低。
草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。
老去參戎幕,歸來散馬蹄。
老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。
稻粱須就列,榛草即相迷。
「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。
蓄積思江漢,疏頑惑町畦。
兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。
稍酬知己分,還入故林棲。
壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。
到村
碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。
蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。
老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。
稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。
蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。
稍【やや】知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。
『到村』 現代語訳と訳註
(本文)
到村
碧澗雖多雨,秋沙先少泥。
蛟龍引子過,荷芰逐花低。
老去參戎幕,歸來散馬蹄。
稻粱須就列,榛草即相迷。
蓄積思江漢,疏頑惑町畦。
稍酬知己分,還入故林棲。
(含異文): 碧澗雖多雨,秋沙先【案:去聲。】少泥【秋沙亦少泥】。
蛟龍引子過,荷芰逐花低。
老去參戎幕,歸來散馬蹄。
稻粱須就列,榛草即相迷。
蓄積思江漢,疏頑惑町畦【疏頑感町畦】【頑疏惑町畦】【頑疏感町畦】。
稍酬知己分【暫酬知己分】,還入故林棲。
(下し文)
到村
碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。
蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。
老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。
稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。
蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。
稍【やや】 知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。
(現代語訳)
(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764年 廣德二年 53歲の作。)
浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。
草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。
老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。
「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。
兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。
壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。
(訳注)
到村
(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764年 廣德二年 53歲の作。)
碧澗雖多雨,秋沙先少泥。
浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。
碧澗 緑いっぱいの谷間の小川が流れるところ、「澗」とあるから秋雨によって小川がたくさんできていたことをいう。
先少泥 成都の街の馬道とか、幕府の道は少しの雨でも泥だらけになるが、隠遁者の居る静かな浣花渓では、道に泥がないということを強調する。
蛟龍引子過,荷芰逐花低。
草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。
蛟龍引子過 成都から草堂までに、百花潭という淵がある。
荷芰逐花低 成都の西、杜甫の草堂付近は、成都を洪水から守る、遊水地のようなところと考えられ、砂地、竹藪、沼地が点在していた。そこに蓮とか菱が花を咲かせていた。秋の長雨で増水して道路に砂が流れ込み、蓮の花や皮脂の花が道路でお辞儀をしてくれたという、隠遁者風に物事をとらえている。
老去參戎幕,歸來散馬蹄。
老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。
參戎幕 幕府参与であること。
散馬蹄 馬であちこち歩き回ること。
稻粱須就列,榛草即相迷。
「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。
稻粱 稲梁を求めるはかりごと、梁はよい米。生活上のはかりごと。自身、幕府の参与であるから、会議をすることをいう。「稻粱の謀」
杜甫《同諸公登慈恩寺墖》「君看隨陽雁,各有稻粱謀。」同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39
蓄積思江漢,疏頑惑町畦。
兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。
蓄積 兼ねて念願に思っている
江漢 長江下流域の荊州、江漢方面に行きたいとすること。
疏頑 世事に疎く、頑なな性格。
惑町畦 町畦は荘子にあり、理想は何かということをいうが、ここは一番いいのが何か迷ってしまうことをいう。
稍酬知己分,還入故林棲。
壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。
稍 【やや・漸】. ( 副 ). 〔副詞「や」を重ねた語〕. ①. 分量・程度がわずかであるさま。 「 -右寄り」 「 -大きめ」 「 -不機嫌そう」. ②. しばらくの間。 「 -待つうちに」. ③. 次第に程度が増すさま。一層。 「年は-さだ過ぎ行くに/更級」. [句]. 稍あって
知己分 知己の分誼。よしみ:誼み。1 親しいつきあい。また、その親しみ。交誼(こうぎ)。「―を結ぶ」2 何らかの縁によるつながり。縁故。