(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53歲秋の作。)この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。
廣徳2年764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2年764-85
作年: 764年廣德二年53歲
卷別: 卷二二八 文體: 五言律詩
詩題: 嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕
交遊人物:嚴武 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕
(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53歲秋の作。)
弱質豈自負,移根方爾瞻。
この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。
細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。
この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。
未見紫煙集,虛蒙清露霑。
松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。
何當一百丈,攲蓋擁高簷。
何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。
(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)
弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。
細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。
未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。
何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。
『嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕』 現代語訳と訳註
(本文)
嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕
弱質豈自負,移根方爾瞻。
細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。
未見紫煙集,虛蒙清露霑。
何當一百丈,攲蓋擁高簷。
(含異文):
弱質豈自負,移根方爾瞻。
細聲聞玉帳【細聲侵玉帳】,疏翠近珠簾。
未見紫煙集,虛蒙清露霑。
何當一百丈,攲蓋擁高簷。
(下し文)
(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)
弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。
細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。
未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。
何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。
(現代語訳)
(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53歲秋の作。)
この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。
この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。
松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。
何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。
(訳注)
嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕
(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53歲秋の作。)
得霑字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「霑」の字を得た。
弱質豈自負,移根方爾瞻。
この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。
弱質 移植間もない若松であることをいう。軟弱な性格であること。
自負 自分で自分を恃みにすること。
移根 他の場所から移植する。
爾 ここの松をいう。
細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。
この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。
細聲 またの風切音が、若松で軟弱であるから、貧弱な音であること。
玉帳 厳武の幕陣の幔幕。
疏翠 この松の緑は疎らである。
珠簾 幕陣の戸前の珠をかざした簾。
未見紫煙集,虛蒙清露霑。
松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。
紫煙集 松が成長すればそこに紫煙も集まるということ
虛蒙 何も効能がないことをいう。
何當一百丈,攲蓋擁高簷。
何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。
何當 何のときにか、当たる。
攲蓋 松の枝が横に広がる様子を車蓋に喩えたもの。
擁 抱きかかえる。