(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

 
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廣徳2764-90 《初冬》 杜甫index-14 764年 杜甫<791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4645 杜甫詩1500-791-1100/2500廣徳2764-90

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    初冬

及地點:              習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池      

 

 

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

 

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

杜甫草堂詳細図02 

『初冬』 現代語訳と訳註

(本文)

初冬

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

漁舟上急水,獵火著高林。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

干戈未偃息,出處遂何心。

 

 

(下し文)

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

(現代語訳)

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

成都関連地図 00

 

(訳注)

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

 

垂老戎衣窄,歸休寒色深。【歸休寒氣深】

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

○垂老 老ゆるになんなんとす、老境にちかづくことをいう。 

 杜 甫《垂老別》「四郊未寧静、垂老不得安。子孫陣亡尽、焉用身獨完。」(四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。)

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

戎衣 軍服。

窄 身幅が狭いこと。

歸休 家に帰って休むこと。

寒色深 冬景色、冬の気配が深くなる。

 

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

 

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

習池醉 晋の山簡の故事。○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

梁甫吟 ○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

杜甫『登樓』

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

 

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

干戈 近年続いている吐蕃の侵略による兵乱。

未偃息 この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めていた。

出處遂何心 幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいであることをいう。
江畔独歩尋花