聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

 
 2014年8月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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廣徳2764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2764-96

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)            長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都            

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)
聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。
傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。 

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

蜀中転々圖

『巴西聞收宮闕送班司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

念君經世亂,匹馬向王畿。

 

 

(下し文)

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

(現代語訳)

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

太白山001 

(訳注)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

巴西 三巴の閬州

宮闕 朝廷の門の両脇の小門。

班司馬 《送司馬入京》と同人物。閬州の属官。

 

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

聞道 きくならく。ひとの謂うことには。聞くところによると。

鳴鑾 車のヨコギにつけた鈴。

 河南道陜州、代宗が逃げ延びたところ。

 

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

黃屋 天子の馬車、天子の車は車の屋根の裏を黄色の絹張りをいう。

正殿 礼儀を行う表御殿。

朱衣 御史太夫の從官の着る服で、この官が朝礼の際引率してそれぞれの立ち位置に引率する。

 

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

劍外 剣閣の外、つまり蜀の地をいう。

敕使 天子の仰せをつたえるお使い。

 

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

 王司馬のこと。

匹馬 一匹の馬。

王畿 都近くの地方。
安史の乱当時の勢力図