かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 
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作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:  台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

夜臺當北斗,泉路著東

得罪台州去,時危棄碩儒。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

成都関連地図 00『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文)

哭台州鄭司蘇少監 #1

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

豪俊何人在,文章掃地無。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

 

(下し文)

(台州の鄭司と蘇少監とを哭す) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

 

(現代語訳)

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

 

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

 

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

 

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

杜甫が房琯との付き合いで経済学・政治学に長けていたことがよくわかるのは、房琯に関連した下記にしめす文章にはっきりと示されている。この文章について、経済学を理解していない人たちの訳は間違っているものが多く、このブログで、国内唯一の訳(20145/520146/21)を参考にされたい。

奉謝口敕放三司推問狀757年至徳二載

乾元元年華州試進士策問五首

祭故相國清河房公文

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

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