汝はそれよりも面縛の態度で金闕に帰参したほうがよいのではなかろうか、帰参したなら、万が一にも天子の御情けが、玉階の御傍のところでくだされるかもしれないというものだ。


765年永泰元年54-07 《青絲》 杜甫index-14 764年 杜甫<807 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4765 杜甫詩1500-807-1124/2500765年永泰元年54-07

 

 
 2014年9月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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78 《宿巫山下》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 25歳 20 首 <78> Ⅰ李白詩1243 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4763 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-07 《青絲》 杜甫index-14 764年 杜甫<807> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4765 杜甫詩1500-807-1124/2500765年永泰元年54歲-07 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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僕固懷恩の乱(7647659月急死)

755年安禄山の叛乱より、この10年近く続いた安史の乱により、唐王朝の国威は大きく傷ついた。また、唐王朝は反乱軍を内部分裂させるために反乱軍の有力な将軍に対して節度使職を濫発した。これが、地方に有力な小軍事政権(藩鎮)を割拠させる原因となった(河朔三鎮)。以降の唐の政治は地方に割拠した節度使との間で妥協と対立とを繰り返しながら徐々に衰退していった。

唐が弱体化していくとともに、ウイグル(回紇)帝国と吐蕃(チベット)が台頭していく。

764年、娘がブグ・カガンの后になっていたことや出身がウイグルと同じ九姓鉄勒 の僕固部であったことから宦官などから謀反の疑いをかけられた僕固懐恩が吐蕃の衆数万人を招き寄せて奉天県に至ったが、朔方節度の郭子儀によって防がれた。

翌年(765年)秋、僕固懐恩はウイグル,吐蕃,吐谷渾,党項,奴剌の衆20数万を招き寄せて、奉天,醴泉,鳳翔,同州に侵攻した。しかし僕固懐恩が死んだため、吐蕃の馬重英らは10月の初めに撤退し、ウイグル首領の羅達干(ラ・タルカン)らも2千余騎を率いて涇陽の郭子儀もとへ請降しに来た。

 

固懐恩は、蛮族である鉄勒の酋長の末であり朔方軍の將として勇名をとどろかせてきた。 安史の乱には郭子儀に従い功績が多く、郭子儀が宦官に疑われて排斥されると、代わりとして副元帥となり援軍のウイグルとともに史朝義を討滅した。

太白山001 

作年:765年永泰元年54-

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

杜少陵集 巻十四

詩題:    青絲【案:青絲白馬,用侯景事,以比僕固懷恩。】

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

 

杜甫は、厳武の留守中に幕府での仕事中に若い者たちに侮辱されたことを腹に据えかねて、詩を作っている。以下の七首である。

     1.    除草
2.    莫相疑行
3.    三韻三篇,三首之一
4.    三韻三篇,三首之二
5.    三韻三篇,三首之三
6.    青絲
7.    赤霄行 


 

青絲

(白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつにいう)

青絲白馬誰家子,粗豪且逐風塵起。

白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつは、大体何処の何者であろうか、そいつの気象は粗豪で、まあまあ安史の乱、外夷騒乱のどさくさに乗じて起ちあがったものである。

不聞漢主放妃嬪,近靜潼關掃蜂蟻。

汝は漢民族の天子の妃嬪を解放され、ほかに、近頃は、潼関方面の騒ぎを鎮められ、、蜂蟻のような悪賊どもを払い除けられたこと聞いて裴ないのか。

殿前兵馬破汝時,十月即為齏粉期。

やがて、殿前兵馬の禁軍が汝を打ち破ることだろうが、その時こそ、10月で、すなわち、なんじらを木っ端みじんに打ち砕かれるであろう。

未如面縛歸金闕,萬一皇恩下玉墀。

汝はそれよりも面縛の態度で金闕に帰参したほうがよいのではなかろうか、帰参したなら、万が一にも天子の御情けが、玉階の御傍のところでくだされるかもしれないというものだ。

(青絲)

青絲白馬は誰が家の子ぞ,粗豪 且つ風塵を逐いて起る。

聞かずや 漢主の妃嬪を放つを,近ごろ 潼關を靜めて 蜂蟻を掃いしことを。

殿前の兵馬 汝を破らん時,十月 即ち齏粉【せいぶん】の期と為さん。

未だ如ず 面縛して 金闕に歸せんには,萬一 皇の恩 玉墀【ぎょくち】より下らん。

 

閶闔門001 

『青絲』 現代語訳と訳註

(本文)

青絲

青絲白馬誰家子,粗豪且逐風塵起。

不聞漢主放妃嬪,近靜潼關掃蜂蟻。

殿前兵馬破汝時,十月即為齏粉期。

未如面縛歸金闕,萬一皇恩下玉墀。

 

(含異文)

青絲白馬誰家子,粗豪且逐風塵起。

不聞漢主放妃嬪【案:肅、代二宗曾兩放宮嬪。】,近靜潼關掃蜂蟻。

殿前兵馬破汝時,十月即為齏粉期。

未如面縛歸金闕【未知面縛歸金闕】【不如面縛歸金闕】【不知面縛歸金闕】,萬一皇恩下玉墀。

 

(下し文)

(青絲)

青絲白馬は誰が家の子ぞ,粗豪 且つ風塵を逐いて起る。

聞かずや 漢主の妃嬪を放つを,近ごろ 潼關を靜めて 蜂蟻を掃いしことを。

殿前の兵馬 汝を破らん時,十月 即ち齏粉【せいぶん】の期と為さん。

未だ如ず 面縛して 金闕に歸せんには,萬一 皇の恩 玉墀【ぎょくち】より下らん。

 

(現代語訳)

(白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつにいう)

白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつは、大体何処の何者であろうか、そいつの気象は粗豪で、まあまあ安史の乱、外夷騒乱のどさくさに乗じて起ちあがったものである。

汝は漢民族の天子の妃嬪を解放され、ほかに、近頃は、潼関方面の騒ぎを鎮められ、、蜂蟻のような悪賊どもを払い除けられたこと聞いて裴ないのか。

やがて、殿前兵馬の禁軍が汝を打ち破ることだろうが、その時こそ、10月で、すなわち、なんじらを木っ端みじんに打ち砕かれるであろう。

汝はそれよりも面縛の態度で金闕に帰参したほうがよいのではなかろうか、帰参したなら、万が一にも天子の御情けが、玉階の御傍のところでくだされるかもしれないというものだ。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

青絲

(白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつにいう)

僕固懷恩の乱(7647659月急死)について意見を述べたもの。

 

青絲白馬誰家子,粗豪且逐風塵起。

白馬に乗り、青絲の手綱を取るやつは、大体何処の何者であろうか、そいつの気象は粗豪で、まあまあ安史の乱、外夷騒乱のどさくさに乗じて起ちあがったものである。

青絲白馬 白馬は梁の叛将侯景の故事。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。ここは僕固懐恩等の賊将をさす、《梁書·侯景傳》、

杜甫《觀兵》

北庭送壯士,貔虎數尤多。

舊無敵,邊隅今若何?

妖氛擁白馬,元帥待雕戈。

莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

ここは史思明等の賊将をさす、史思明は時に魏州(河北省大名府元城県東)を陥落させている。

觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286

粗豪 気性が荒々しいこと。騎馬民族の酋長の子であり、農耕民族である漢民族との違いである。

逐風塵起 風塵とは、76310月吐蕃侵寇のとき、僕固懐恩は太原を採らんと謀った。その後に、回紇吐蕃と連合して長安に入寇したことをいう。

 

不聞漢主放妃嬪,近靜潼關掃蜂蟻。

汝は漢民族の天子の妃嬪を解放され、ほかに、近頃は、潼関方面の騒ぎを鎮められ、、蜂蟻のような悪賊どもを払い除けられたこと聞いて裴ないのか。

妃嬪 後宮における后妃の制度「内職」(礼記、昏儀)に、皇后一人、その下に四人の妃、九人の嬪、九人の婕妤、九人の美人、九人の才人、二十七人の宝林、二十七人の御女、二十七人の采女が配置された。皇后だけが正妻で、その他は皆、「妃嬪」(皇帝の妾)とされた。765年永泰元年二月後宮より三千人の宮女の内千人を洛陽・上陽宮に送って守らせた。

近靜潼關 吐蕃が長安を落された時、涇州刺史高睴が吐蕃と連動し、東には汁を潼関の守将李日越が高睴を虜にし殺した。

蜂蟻 あり、はちを賊徒に比す。

 

殿前兵馬破汝時,十月即為齏粉期。

やがて、殿前兵馬の禁軍が汝を打ち破ることだろうが、その時こそ、10月で、すなわち、なんじらを木っ端みじんに打ち砕かれるであろう。

殿前兵馬 神策軍の近衛兵軍のこと。

 

未如面縛歸金闕,萬一皇恩下玉墀。

汝はそれよりも面縛の態度で金闕に帰参したほうがよいのではなかろうか、帰参したなら、万が一にも天子の御情けが、玉階の御傍のところでくだされるかもしれないというものだ。

面縛 本人を後ろ手に縛り、顔面を前に向けて膝まつかせること。降伏の態度である。