雍王(代宗の子)回紇の可汗と陜州黄河北岸で会見,この時、雍王が可汗の帳前に舞蹈しなかったのを責め、回紇の車鼻将軍が雍王の従者,章少華、魏琚、李進、藥子昂等を引き立て、各々打つこと百回、章少華、魏琚は死にいたる。これをもって「漢臣鞭血」といい,これに基づき、再びこのような屈辱的なことが無いように杜甫は警告したのである。

 
 2014年9月9日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
82 《白紵辭,三首之三》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <82> Ⅰ李白詩1247 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4783 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
439-#2 《古風》韓愈(韓退之)ID 794年貞元10年 27歳<1160> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4784韓愈詩-439-#2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-10 《遣憤》 杜甫index-15 杜甫<810> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4785 杜甫詩1500-810-1128/2500765年永泰元年54歲-10 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor17-465《臨江仙二首,其一》巻九 閻選Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-648-17-(465) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4787 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

765年永泰元年54-10 《遣憤》 杜甫index-15 杜甫<810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4785 杜甫詩1500-810-1128/2500765年永泰元年54-10

 

 

作時年:              765年永泰元年54-

卷別:    卷二二七              文體:    五言律詩

詩題:    遣憤

及地點:              花門山堡 (隴右道東部 甘州 甘州) 別名:花門             

 

 

遣憤

(唐軍の権威を回紇に今こそ示せと怒って詠う。)

聞道花門將,論功未盡歸。

聞くところによると、回紇種族の大將らは、この度の吐蕃を破ったことに対する報酬に不満を持って、未だに軍隊を帰国しないで残していて、その中のものは略奪に及んでいるという。

自從收帝里,誰復總戎機。

安史の乱で帝都長安が敵の手に落ち、やっとの思いで取り返したのが、757年の冬であったが、76310月涇州刺史の裏切りにより、吐蕃を長安に引き入れ陥し、代宗は陜州に逃避した。それが12月に吐蕃が兵を引いたので、帝都に代宗が戻られたものの、引き続き、吐蕃とウイグル回紇軍に長安のものは怯えて暮らしている。この時期、一体だれが、この唐王朝軍の全権を握っているのであろうか。

蜂蠆終懷毒,雷霆可震威。

蜂とサソリの様な毒を持っている回紇に援軍を養成すれば最終的にその毒がこの国に残ってしまうということであり、いまこそ、稲光とイカヅチのように叱咤、大声を上げて怒り朝廷の権威を示すべきなのだ。

莫令鞭血地,再漢臣衣。

これまで我が唐の臣が、どれだけ回紇に鞭うたれて血を流したことか、それなのに、ここで再び我が朝臣の衣を血で潤すようなことがあってはならないのである。

 

(憤を遣る)

聞道【きくならく】花門の將,功を論じて未だ盡く歸らず、と。

帝里を收めし自從【より】,誰か復た戎機【じゅうき】を總【す】べる。

蜂蠆【ほうたい】終に毒を懷くも,雷霆【らいてい】威を震う可し。

鞭血なりし地,再び漢臣の衣を令むこと莫れ

 

安史の乱当時の勢力図

 

『遣憤』 現代語訳と訳註

(本文)

遣憤

聞道花門將,論功未盡歸。

自從收帝里,誰復總戎機。

蜂蠆終懷毒,雷霆可震威。

莫令鞭血地,再漢臣衣。

 

(下し文)

(憤を遣る)

聞道【きくならく】花門の將,功を論じて未だ盡く歸らず、と。

帝里を收めし自從【より】,誰か復た戎機【じゅうき】を總【す】べる。

蜂蠆【ほうたい】終に毒を懷くも,雷霆【らいてい】威を震う可し。

鞭血なりし地,再び漢臣の衣を令むこと莫れ

 

(現代語訳)

(唐軍の権威を回紇に今こそ示せと怒って詠う。)

聞くところによると、回紇種族の大將らは、この度の吐蕃を破ったことに対する報酬に不満を持って、未だに軍隊を帰国しないで残していて、その中のものは略奪に及んでいるという。

安史の乱で帝都長安が敵の手に落ち、やっとの思いで取り返したのが、757年の冬であったが、76310月涇州刺史の裏切りにより、吐蕃を長安に引き入れ陥し、代宗は陜州に逃避した。それが12月に吐蕃が兵を引いたので、帝都に代宗が戻られたものの、引き続き、吐蕃とウイグル回紇軍に長安のものは怯えて暮らしている。この時期、一体だれが、この唐王朝軍の全権を握っているのであろうか。

蜂とサソリの様な毒を持っている回紇に援軍を養成すれば最終的にその毒がこの国に残ってしまうということであり、いまこそ、稲光とイカヅチのように叱咤、大声を上げて怒り朝廷の権威を示すべきなのだ。

これまで我が唐の臣が、どれだけ回紇に鞭うたれて血を流したことか、それなのに、ここで再び我が朝臣の衣を血で潤すようなことがあってはならないのである。

太白山001 

(訳注)

遣憤

(唐軍の権威を回紇に今こそ示せと怒って詠う。)

763年、正月、安史の乱は史朝儀の縊死しおわった。この時のウイグル援軍に対する支払いは、唐王朝の財政的危機のため、禍根を残していたことで、ウイグルの大将たちの中には、その後、李崔国の横暴、涇州刺史の裏切りにより、吐蕃を長安に引き入れ落した。僕固懐恩の裏切りと安史の乱が終わっても、勢力を増した潘鎮、節度使、が各地で放棄し、それがことごとくウイグル回紇、チベット吐蕃と結託したものであり、これに対抗する唐王朝軍は別のウイグル軍へ援軍を依頼するのであるから、唐軍は完全に舐められていたのである。

杜甫が花門、回紇について述べたもの。

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

 

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226

 

聞道花門將,論功未盡歸。

聞くところによると、回紇種族の大將らは、この度の吐蕃を破ったことに対する報酬に不満を持って、未だに軍隊を帰国しないで残していて、その中のものは略奪に及んでいるという。

花門 堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」

論功 回紇に援軍要請した際の約束事に見合う報償について納得しない回紇軍が長安で略奪行為を行う(報償が足らない場合は奪ってよいとしていた)。

 

自從收帝里,誰復總戎機。

安史の乱で帝都長安が敵の手に落ち、やっとの思いで取り返したのが、757年の冬であったが、76310月涇州刺史の裏切りにより、吐蕃を長安に引き入れ陥し、代宗は陜州に逃避した。それが12月に吐蕃が兵を引いたので、帝都に代宗が戻られたものの、引き続き、吐蕃とウイグル回紇軍に長安のものは怯えて暮らしている。この時期、一体だれが、この唐王朝軍の全権を握っているのであろうか。

收帝里 帝都長安を取り戻して治めること。

總戎機 唐王朝軍の軍の全権を握ること。

 

蜂蠆終懷毒,雷霆可震威。

蜂とサソリの様な毒を持っている回紇に援軍を養成すれば最終的にその毒がこの国に残ってしまうということであり、いまこそ、稲光とイカヅチのように叱咤、大声を上げて怒り朝廷の権威を示すべきなのだ。

蜂蠆 蜂とサソリ

雷霆 かみなり、稲光とイカヅチのように叱咤、大声を上げて怒ること。

 

莫令鞭血地,再漢臣衣。

これまで我が唐の臣が、どれだけ回紇に鞭うたれて血を流したことか、それなのに、ここで再び我が朝臣の衣を血で潤すようなことがあってはならないのである。

鞭血地 人を鞭うちその血がそそぐことをいう。旧唐書、回紇傳寶應元年九月、初めて,雍王(代宗の子)回紇の可汗と陜州黄河北岸で会見,この時、雍王が可汗の帳前に舞蹈しなかったのを責め、回紇の車鼻将軍が雍王の従者,章少華、魏琚、李進、藥子昂等を引き立て、各々打つこと百回、章少華、魏琚は死にいたる。これをもって「漢臣鞭血」といい,これに基づき、再びこのような屈辱的なことが無いように杜甫は警告したのである。
三者の思惑が合致