成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

 
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765

年永泰元年54-17 《春日江村,五首之三》 杜甫index-15 杜甫<817> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4820 杜甫詩1500-817-1135/2500765年永泰元年54-17

 

 

 

作年:765年永泰元年54-

卷別:  卷二二八        文體:  五言律詩

詩題:  春日江村,五首之三

詩序: 

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:        江村 (劍南道北部益州 成都)      

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺     

 

 

春日江村,五首之一

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここをはなれるとすれば桃源郷に行くといって自らを慰め詠う。)

農務村村急,春流岸岸深。

春になり、このあたりのどの村でも農事がせわしくなってきた、春水の濯錦江の流れは岸という岸にはも水かさが上がり深くなっている。

乾坤萬里眼,時序百年心。

この時、天地の間に万里の眼をはなつことであり、四時の変遷にあって一生涯を通じてながめる自分の心はどんなであろうか。

茅屋還堪賦,桃源自可尋。

まあまあ、そまつな茅ぶきの家ではあるがここで詩もつくることができる、またここを立ち去って遠くへ出かけるとすれば桃源の世界も尋ねることができるというものだ。

艱難賤生理,飄泊到如今。

元来自分は国家多難のおりにあたって一身上の活計にうとく、ながれただようて今日におよんでおるのである。

 

(春日江村,五首之一)

農務 村村 急に,春流 岸岸 深し。

乾坤 萬里の眼,時序 百年の心。

茅屋 還た賦するに堪えたり,桃源 自ら尋ぬる可し。

艱難 生理に賤く,飄泊 如今に到れり。

 

春日江村,五首之二

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここでの生活は、自由であると詠う。)

迢遞來三蜀,蹉跎有六年。

自分は都からはるばるこの蜀の地に来て、かれこれ六年になる。

客身逢故舊,發興自林泉。

旅客の身ではあるものの旧友に逢うことが出来、林泉をたのしんで興を発している。

過懶從衣結,頻遊任履穿。

無精すぎるのも持ち前だから、衣はぼろを続くり合わせ、頻繁に遊び回るから靴の底は穴が空き放題である。

藩籬無限景,恣意買江天。

草堂の籬も結うてはあるが、他所との境目がなく自由な感覚で濯錦江の天を眺めているのである。

 

(春日江村,五首之二)

迢遞 三蜀に來る,蹉跎 六年有り。

客身 故舊に逢う,發興 自ら林泉。

過懶【からん】衣を結ぶに從【まか】せ,頻遊【ひんゆう】履の穿つに任す。

藩籬【はんり】景に限り無し,恣意【しい】江天に買【むか】う。

 

春日江村,五首之三

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

經心石鏡月,到面雪山風。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

赤管隨王命,銀章付老翁。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

(春日江村,五首之三)

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

豈に知らんや 牙齒落ち,名は薦賢の中に玷すことを。

 

杜甫像0012 

『春日江村,五首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

春日江村,五首之三

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

經心石鏡月,到面雪山風。

赤管隨王命,銀章付老翁。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

 

 

(下し文)

(春日江村,五首之三)

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

豈に知らんや 牙齒落ち,名は薦賢の中に玷すことを。

 

(現代語訳)

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

春日江村,五首之三

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

 

 

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

この草堂に来てまず家の周りに植えていった。そのことは以下の詩に述べている。

成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <354  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

成都(1)浣花渓の草堂(3) 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1731 杜甫詩 700- 532

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

成都(1)浣花渓の草堂(6) 憑何十一少府邕覓榿木栽 杜甫 <356  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1743 杜甫詩 700- 535

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537

成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362> ..\杜甫と農業.doc 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538

 

經心石鏡月,到面雪山風。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

○石鏡 成都の北角に武担という塚があるが、その塚の上に鏡の幅は1メートル、高さは120cm程の石である、すきとおることは鏡のごとくであるという。蜀の古王開明の妃の塚だと伝える。蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも『石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行』という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。

杜甫「石鏡」

蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。

石鏡 杜甫 <431  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

廣徳2764-98-#8 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4470 杜甫詩1500-770-#8-1065/2500

 

赤管隨王命,銀章付老翁。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

赤管 工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわったこと。漢代、尚書令・尚書僕射・尚書丞・尚書郎には毎月赤い軸で象牙で飾られた筆を支給されたり、右扶風渝麋県の墨を与えられていた。尚書令・僕・丞・郎月給赤管大筆一雙、篆題曰「北工作楷」於頭上、象牙寸半著筆下。尚書令・

銀章 四品五品将軍、全て銀章を賜る。唐では、銀章はなく魚袋を有したのを漢になぞらえて銀章といった。

 

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

玷 点辱。謙遜して言う。

薦賢 天子に向って賢者、賢才のものを推選する書類。厳武が推薦書を上申した。
江畔独歩尋花