そうしてここらあたりを見ると、ツバメが外へ飛び出せば、晴天が糸巻のように雨に変わっていくし、この濯錦江のほとりに泛ぶカモメの動きには水上の浮草が左右に押し開かれるのである。それに、隣の家のものだったら、魚やスッポンを持ってきてくれて、持病を持っている自分の安否をたびたび気遣ってくれるというものだ。
765年永泰元年54歲-18 《春日江村,五首之四》 杜甫index-15 杜甫<818> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4825 杜甫詩1500-818-1136/2500765年永泰元年54歲-18
作年:765年永泰元年54歲-
卷別: 卷二二八 文體: 五言律詩
詩題: 春日江村,五首之四
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
及地點: 江村 (劍南道北部益州 成都)
春日江村,五首之一
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここをはなれるとすれば桃源郷に行くといって自らを慰め詠う。)
農務村村急,春流岸岸深。
春になり、このあたりのどの村でも農事がせわしくなってきた、春水の濯錦江の流れは岸という岸にはも水かさが上がり深くなっている。
乾坤萬里眼,時序百年心。
この時、天地の間に万里の眼をはなつことであり、四時の変遷にあって一生涯を通じてながめる自分の心はどんなであろうか。
茅屋還堪賦,桃源自可尋。
まあまあ、そまつな茅ぶきの家ではあるがここで詩もつくることができる、またここを立ち去って遠くへ出かけるとすれば桃源の世界も尋ねることができるというものだ。
艱難賤生理,飄泊到如今。
元来自分は国家多難のおりにあたって一身上の活計にうとく、ながれただようて今日におよんでおるのである。
(春日江村,五首之一)
農務 村村 急に,春流 岸岸 深し。
乾坤 萬里の眼,時序 百年の心。
茅屋 還た賦するに堪えたり,桃源 自ら尋ぬる可し。
艱難 生理に賤く,飄泊 如今に到れり。
春日江村,五首之二
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここでの生活は、自由であると詠う。)
迢遞來三蜀,蹉跎有六年。
自分は都からはるばるこの蜀の地に来て、かれこれ六年になる。
客身逢故舊,發興自林泉。
旅客の身ではあるものの旧友に逢うことが出来、林泉をたのしんで興を発している。
過懶從衣結,頻遊任履穿。
無精すぎるのも持ち前だから、衣はぼろを続くり合わせ、頻繁に遊び回るから靴の底は穴が空き放題である。
藩籬無限景,恣意買江天。
草堂の籬も結うてはあるが、他所との境目がなく自由な感覚で濯錦江の天を眺めているのである。
(春日江村,五首之二)
迢遞 三蜀に來る,蹉跎 六年有り。
客身 故舊に逢う,發興 自ら林泉。
過懶【からん】衣を結ぶに從【まか】せ,頻遊【ひんゆう】履の穿つに任す。
藩籬【はんり】景に限り無し,恣意【しい】江天に買【むか】う。
春日江村,五首之三
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)
種竹交加翠,栽桃爛熳紅。
自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。
經心石鏡月,到面雪山風。
成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。
赤管隨王命,銀章付老翁。
その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。
豈知牙齒落,名玷薦賢中。
ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。
(春日江村,五首之三)
種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。
心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。
赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。
豈に知らんや 牙齒落ち,名は薦賢の中に玷すことを。
春日江村,五首之四
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、幕府を辞して、草堂に帰って隠遁生活愉しむことを詠う。)
扶病垂朱紱,歸休步紫苔。
自分には持病があり、その病気のため誰かの助けがあって朱紱を垂れているのであり、ここに帰って来れば休息でき、庭の紫苔の絨毯を踏んで歩くのである。
郊扉存晚計,幕府愧群材。
幕府にいる時は多くの人物、それぞれの持っている才能に対し恥ずかしく思うことがあるし、この郊外の扉に寝起きすれば人生の晩年の計画もここにはあるということなのだ。
燕外晴絲卷,鷗邊水葉開。
そうしてここらあたりを見ると、ツバメが外へ飛び出せば、晴天が糸巻のように雨に変わっていくし、この濯錦江のほとりに泛ぶカモメの動きには水上の浮草が左右に押し開かれるのである。
鄰家送魚鱉,問我數能來。
それに、隣の家のものだったら、魚やスッポンを持ってきてくれて、持病を持っている自分の安否をたびたび気遣ってくれるというものだ。
(春日江村,五首之四)
扶病 朱紱【しゅふつ】を垂れ,歸休 紫苔に步す。
郊扉 晚計存し,幕府 群材に愧ず。
燕外 晴絲卷き,鷗邊 水葉開く。
鄰家 魚鱉【ぎょべつ】を送り,我を問うて數【しばし】ば能く來る。
『春日江村,五首之四』 現代語訳と訳註
(本文)
春日江村,五首之四
扶病垂朱紱,歸休步紫苔。
郊扉存晚計,幕府愧群材。
燕外晴絲卷,鷗邊水葉開。
鄰家送魚鱉,問我數能來。
(下し文)
(現代語訳)
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、幕府を辞して、草堂に帰って隠遁生活愉しむことを詠う。)
自分には持病があり、その病気のため誰かの助けがあって朱紱を垂れているのであり、ここに帰って来れば休息でき、庭の紫苔の絨毯を踏んで歩くのである。
幕府にいる時は多くの人物、それぞれの持っている才能に対し恥ずかしく思うことがあるし、この郊外の扉に寝起きすれば人生の晩年の計画もここにはあるということなのだ。
そうしてここらあたりを見ると、ツバメが外へ飛び出せば、晴天が糸巻のように雨に変わっていくし、この濯錦江のほとりに泛ぶカモメの動きには水上の浮草が左右に押し開かれるのである。
それに、隣の家のものだったら、魚やスッポンを持ってきてくれて、持病を持っている自分の安否をたびたび気遣ってくれるというものだ。
(訳注)
春日江村,五首之四
(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、幕府を辞して、草堂に帰って隠遁生活愉しむことを詠う。)
扶病垂朱紱 歸休步紫苔
郊扉存晚計 幕府愧群材
燕外晴絲卷 鷗邊水葉開
鄰家送魚鱉 問我數能來
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扶病垂朱紱,歸休步紫苔。
自分には持病があり、その病気のため誰かの助けがあって朱紱を垂れているのであり、ここに帰って来れば休息でき、庭の紫苔の絨毯を踏んで歩くのである。
扶病 自分には持病があり、その病気のため誰かの助けが必要である。
朱紱 大夫の朱の皮前だれ、緋衣を賜っていることをいう。杜甫《村雨》「挈帶看朱紱,開箱睹黑裘。」廣徳2年764-92 《村雨》 杜甫index-14 764年 杜甫<793> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4655 杜甫詩1500-793-1102/2500廣徳2年764-92
歸休 草堂に帰って来れば休息できること。
步紫苔 上句の朱紱に対し、朝廷の床に敷いてある絨毯ではなく草堂の庭には、青苔の絨毯が敷かれているからその上を歩くということ。
郊扉存晚計,幕府愧群材。
幕府にいる時は多くの人物、それぞれの持っている才能に対し恥ずかしく思うことがあるし、この郊外の扉に寝起きすれば人生の晩年の計画もここにはあるということなのだ。
郊扉 成都の幕府から西郊外に草堂があること。
晚計 晩年にあたってこんなことがあるという、以下五句をいう。
燕外晴絲卷,鷗邊水葉開。
そうしてここらあたりを見ると、ツバメが外へ飛び出せば、晴天が糸巻のように雨に変わっていくし、この濯錦江のほとりに泛ぶカモメの動きには水上の浮草が左右に押し開かれるのである。
晴絲卷 晴れていても燕が喜び飛び廻ると雨に変わること。雨の降り始めには耳いずが地面に出て來るので、ツバメを見て転機を予想する。
水葉開 蓮、皮脂、浮草などがカモメが進むと道を開く。
鄰家送魚鱉,問我數能來。
それに、隣の家のものだったら、魚やスッポンを持ってきてくれて、持病を持っている自分の安否をたびたび気遣ってくれるというものだ。
鱉 スッポン。
問我 自分の安否をたびたび気遣ってくれる。