彼等はその死後には、王粲はその宅の記事が先賢傳に入り、賈誼は處士であった時の才子の名が高く詠われている。かつてこの二人のことを懐かしく思っていたのであるが、この春の日に当たって自分の境遇と似ている二人のことをまた深く考えるのである。

 
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765

年永泰元年54-19 《春日江村,五首之五》 杜甫index-15 杜甫<819> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4830 杜甫詩1500-819-1137/2500765年永泰元年54-19

 

 

 

作年:765年永泰元年54-

卷別:  卷二二八        文體:  五言律詩

詩題:  春日江村,五首之五

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:        江村 (劍南道北部益州 成都)



春日江村,五首之一

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここをはなれるとすれば桃源郷に行くといって自らを慰め詠う。)

農務村村急,春流岸岸深。

春になり、このあたりのどの村でも農事がせわしくなってきた、春水の濯錦江の流れは岸という岸にはも水かさが上がり深くなっている。

乾坤萬里眼,時序百年心。

この時、天地の間に万里の眼をはなつことであり、四時の変遷にあって一生涯を通じてながめる自分の心はどんなであろうか。

茅屋還堪賦,桃源自可尋。

まあまあ、そまつな茅ぶきの家ではあるがここで詩もつくることができる、またここを立ち去って遠くへ出かけるとすれば桃源の世界も尋ねることができるというものだ。

艱難賤生理,飄泊到如今。

元来自分は国家多難のおりにあたって一身上の活計にうとく、ながれただようて今日におよんでおるのである。

 

(春日江村,五首之一)

農務 村村 急に,春流 岸岸 深し。

乾坤 萬里の眼,時序 百年の心。

茅屋 還た賦するに堪えたり,桃源 自ら尋ぬる可し。

艱難 生理に賤く,飄泊 如今に到れり。

 

春日江村,五首之二

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、ここでの生活は、自由であると詠う。)

迢遞來三蜀,蹉跎有六年。

自分は都からはるばるこの蜀の地に来て、かれこれ六年になる。

客身逢故舊,發興自林泉。

旅客の身ではあるものの旧友に逢うことが出来、林泉をたのしんで興を発している。

過懶從衣結,頻遊任履穿。

無精すぎるのも持ち前だから、衣はぼろを続くり合わせ、頻繁に遊び回るから靴の底は穴が空き放題である。

藩籬無限景,恣意買江天。

草堂の籬も結うてはあるが、他所との境目がなく自由な感覚で濯錦江の天を眺めているのである。

 

(春日江村,五首之二)

迢遞 三蜀に來る,蹉跎 六年有り。

客身 故舊に逢う,發興 自ら林泉。

過懶【からん】衣を結ぶに從【まか】せ,頻遊【ひんゆう】履の穿つに任す。

藩籬【はんり】景に限り無し,恣意【しい】江天に買【むか】う。

 

春日江村,五首之三

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

經心石鏡月,到面雪山風。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

赤管隨王命,銀章付老翁。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

(春日江村,五首之三)

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

豈に知らんや 牙齒落ち,名は薦賢の中に玷すことを。

 

春日江村,五首之四

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、幕府を辞して、草堂に帰って隠遁生活愉しむことを詠う。)

扶病垂朱紱,歸休步紫苔。

自分には持病があり、その病気のため誰かの助けがあって朱紱を垂れているのであり、ここに帰って来れば休息でき、庭の紫苔の絨毯を踏んで歩くのである。

郊扉存晚計,幕府愧群材。

幕府にいる時は多くの人物、それぞれの持っている才能に対し恥ずかしく思うことがあるし、この郊外の扉に寝起きすれば人生の晩年の計画もここにはあるということなのだ。

燕外晴絲卷,鷗邊水葉開。

そうしてここらあたりを見ると、ツバメが外へ飛び出せば、晴天が糸巻のように雨に変わっていくし、この濯錦江のほとりに泛ぶカモメの動きには水上の浮草が左右に押し開かれるのである。

鄰家送魚鱉,問我數能來。

それに、隣の家のものだったら、魚やスッポンを持ってきてくれて、持病を持っている自分の安否をたびたび気遣ってくれるというものだ。

 

(春日江村,五首之四)

扶病 朱紱【しゅふつ】を垂れ,歸休 紫苔に步す。

郊扉 晚計存し,幕府 群材に愧ず。

燕外 晴絲卷き,鷗邊 水葉開く。

鄰家 魚鱉【ぎょべつ】を送り,我を問うて數【しばし】ば能く來る。 

春日江村,五首之五

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、古人を借りて自己の感慨を詠う。)

群盜哀王粲,中年召賈生。

盗賊がはびこった後漢の終わりごろ王粲は哀しみ、賈誼は一度は退けられて中年になってまた朝廷に呼び返された。

登樓初有作,前席竟為榮。

王粲は荊州に流寓して、樓に登って故郷を思う賦を作った。賈誼は話に孝文帝は興がのって座席から膝を乗り出して聞いたほどであったことは栄誉な事として良いであろう。

宅入先賢傳,才高處士名。

彼等はその死後には、王粲はその宅の記事が先賢傳に入り、賈誼は處士であった時の才子の名が高く詠われている。

異時懷二子,春日復含情。

かつてこの二人のことを懐かしく思っていたのであるが、この春の日に当たって自分の境遇と似ている二人のことをまた深く考えるのである。

 

(春日江村,五首之五)

群盜あるは 王粲哀み,中年で 賈生を召す。

登樓 初めて作有り,前席 竟に榮なりと為す。

宅 先賢傳に入り,才 處士の名を高くす。

異時 二子を懷い,春日 復た情を含む。

安史の乱当時の勢力図 

 

『春日江村,五首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

春日江村,五首之五

群盜哀王粲,中年召賈生。

登樓初有作,前席竟為榮。

宅入先賢傳,才高處士名。

異時懷二子,春日復含情。

 

(下し文)

(春日江村,五首之五)

群盜あるは 王粲哀み,中年で 賈生を召す。

登樓 初めて作有り,前席 竟に榮なりと為す。

宅 先賢傳に入り,才 處士の名を高くす。

異時 二子を懷い,春日 復た情を含む。

 

(現代語訳)

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、古人を借りて自己の感慨を詠う。)

盗賊がはびこった後漢の終わりごろ王粲は哀しみ、賈誼は一度は退けられて中年になってまた朝廷に呼び返された。

王粲は荊州に流寓して、樓に登って故郷を思う賦を作った。賈誼は話に孝文帝は興がのって座席から膝を乗り出して聞いたほどであったことは栄誉な事として良いであろう。

彼等はその死後には、王粲はその宅の記事が先賢傳に入り、賈誼は處士であった時の才子の名が高く詠われている。

かつてこの二人のことを懐かしく思っていたのであるが、この春の日に当たって自分の境遇と似ている二人のことをまた深く考えるのである。

 

 

(訳注)

春日江村,五首之五

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていること、しかも、古人を借りて自己の感慨を詠う。)

群盜哀王粲  中年召賈
登樓初有作  前席竟為
宅入先賢傳  才高處士
異時懷二子  春日復含

○●○△●  △○●●△

○○○●●  ○●●○○

●●△○△  ○○●●○

●○○●●  ○●●○○

 

群盜哀王粲,中年召賈生。

盗賊がはびこった後漢の終わりごろ王粲は哀しみ、賈誼は一度は退けられて中年になってまた朝廷に呼び返された。

群盜 後漢の世情と安史の乱以降の世情と似ており、各地に反乱がおこり、強盗がはびこったことをいう。

王粲 王粲」は後漢末、建安の文人。三層七子のひとり。曹操政権に入る前、洛陽から長安へ董卓のために強制移住させられ、董卓の暗殺のあと戦乱状態になった長安からさらに避難して、荊州の劉表のもとに身を寄せた。しかし重用されることはなく、不満を「登楼の賦」(『文選』巻11)に綴った。

賈生 漢の孝文帝劉恒(紀元前202157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。

 

登樓初有作,前席竟為榮。

王粲は荊州に流寓して、樓に登って故郷を思う賦を作った。賈誼は話に孝文帝は興がのって座席から膝を乗り出して聞いたほどであったことは栄誉な事として良いであろう。

登樓初有作 王粲の故事。荊州に流寓して、樓に登って故郷を思う賦「登樓賦」を作った。

前席竟為榮 賈誼の故事。首聯の注参照。

 

宅入先賢傳,才高處士名。

彼等はその死後には、王粲はその宅の記事が先賢傳に入り、賈誼は處士であった時の才子の名が高く詠われている。

先賢傳 王粲の宅が楚国先賢傳の記事にある。

處士 仕えることなく家居するものをいうが、才能があるという名声があった。

 

異時懷二子,春日復含情。

かつてこの二人のことを懐かしく思っていたのであるが、この春の日に当たって自分の境遇と似ている二人のことをまた深く考えるのである。

二子 この詩は、才能があるのに、朝廷から疎まれたり、登用されなかったりしていることと、杜甫自身、朝廷から疎外され、はじき出され、官を辞すに至った。
三者の思惑が合致