(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)
765年永泰元年54歲-21 《絕句,六首之二》 杜甫index-15 杜甫<821> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4840 杜甫詩1500-821-1139/2500765年永泰元年54歲-21
作年: 65年永泰元年54歲-
卷別: 卷二二八 文體: 五言絕句
詩題: 絕句,六首之二
作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)
絕句,六首之一
日出籬東水,雲生舍北泥。
竹高鳴翡翠,沙僻舞鵾雞。
(この六首は草堂の景物について述べているが、その一は長雨が上がった有様上がった有様を詠う。)
まがきの東の向うの水面から日が昇る。草堂の北側の濠の泥から雲気が起こる。
竹の林が高く繁っていて、カワセミが啼いている。中洲の砂は静かなもので、とうまる鳥が水浴びして踊っている。
(絕句,六首の一)
日は出づ 籬東の水,雲は生ず 舍北の泥。
竹高くして 翡翠鳴き,沙僻にして 鵾雞舞う。
絕句,六首之二
藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。
幽棲身懶動,客至欲如何。
(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)
花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。
もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。
(絕句,六首の二 )
藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。
幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。
『絕句,六首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
絕句,六首之二
藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。
幽棲身懶動,客至欲如何。
(下し文)
(絕句,六首の二 )
藹藹【あいあい】として花蕊亂れ,飛飛として蜂蝶多し。
幽棲 身 動くに懶し,客至らば如何せむかと欲する。
(現代語訳)
(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)
花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。
もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。
(訳注)
絕句,六首之二
(この六首は草堂の景物について述べているが、その二は隠遁者として花が咲き乱れるのをただ風流に眺めているがこんな時に御客が有ったら面倒だなあと詠う。)
藹藹花蕊亂,飛飛蜂蝶多。
花が咲き乱れ、その花弁と花蕋をもじゃもじゃとむらがりだしている、そこへ蜂や蝶がたくさんブンブン飛んできてひらひら飛んできている。
藹藹 花が蜂や蝶を呼ぶため、じゃもじゃと群がり出しているさま。
幽棲身懶動,客至欲如何。
もう、しばらくはこの隠遁生活を楽しむので何にもしないで過ごしたい。だから、若し、お客が来ても何にもする気はないのだ。
幽棲 隠遁生活。
懶動 何にもしないで風景や事物を見ている隠遁者である。
客至欲如何 杜甫は、厳武の幕府を辞して草堂に帰っているのでここでお客というのは、厳武が訪ねてきたらどうしようという意味である。