(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

 

 
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765年永泰元年54-26 句,四首之一》 杜甫index-15 杜甫<826 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4865 杜甫詩1500-826-1144/2500765年永泰元年54-26

 

 

765年永泰元年54

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

詩題: 句,四首之一 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

〔自注:朱、阮劍外相知。〕

 

  1

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。

梅熟許同朱老吃,松高擬對阮生論。

(句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 


欲作魚梁雲複湍,因驚四月雨聲寒。

青溪先有蛟龍窟,竹石如山不敢安。

 


兩箇鸝鳴翠柳,一行白鷺上青天。

窗含西嶺千秋雪,門泊東萬里船。

 


藥條藥甲潤青青,色過棕亭入草亭。

苗滿空山慚取譽,根居隙地怯成形。

 

草堂の位置的考察
◍ 草堂は錦江の西岸にあり、錦江がコの字型に蛇行するその内側に位置していたのではないかと思われる。
_居を卜す』の詩に、
◍ 「浣花溪水水西頭、主人為卜林塘幽。」
(浣花渓水 水の西頭、主人は為に卜(ボク)す 林塘の幽なるを)
とあり、西頭は西側の意味だから、住まいを定めたのは浣花渓の西側と読める。「東岸」よりも「西岸」の方がつじつまが合う。以下の四首はみな草堂作りの一年目の夏から秋にかけて草堂を舞台に近辺の出来事を詠じた詩である。それらの詩から蛇行する錦江に村全体が大きく包まれ、とくに草堂付近はその湾曲部(浣花渓)にあったことがわかる。

◍ 『_田舍』詩に、
「田舍清江曲、柴門古道旁。」 
(田舎は清江の曲(くま)、柴門は古道の旁(かたわら)
といい、

◍ 『_江村』詩に、
「清江一曲抱村流、長夏江村事事幽。」 
(清江 一曲 村を抱きて流れ、長夏 江村 事事に幽なり
という。清江は錦江のことで、柴門は杜甫の草堂の粗末な門のこと。
これらから草堂に位置を図示すると以下のとおりである。


 

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。  

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 

 (句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

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句,四首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

句,四首之一

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。 

 

(下し文)

(句,四首之一)

堂西の長筍 別に門を開き,塹北の行椒 卻って村に背く。

梅熟し 朱老と同じく喫するを許し,松高くし 阮生に對して論ぜんと擬す。

 

(現代語訳)

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

 

(訳注)

句,四首之一

(杜甫の隠棲生活を述べるものだが、その一は、杜甫が隠棲の意識を以て育てた草木、果実について詠う。)

絶句六首と同時期に、隠遁生活と農業に関してのべたものである

杜甫草堂 四絶句 

堂西長筍別開門,塹北行椒卻背村。 

草堂の西側にも筍がのびてきたので、南西にある柴門とば別の門を開けて通路を増やした。堀渠の北側には山椒の並木があるので、我が家は村に対してかえって背を向けている

卻背村 浣花渓の村は杜甫草堂の東側と北側に多く存在した。

 

梅熟許同朱老喫,松高擬對阮生論。 

梅の実が熟してきたから朱老人に一緒に喫食することを承諾してあげた詩、松の木が背が高くなったから阮生と向き合って、話をしてみたいと思う。

梅熟 杜甫草堂のまわりには、野梅がたくさんなっていた。

『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』

老夫臥穩朝慵起,白屋寒多暖始開。

江鸛巧當幽徑沿,鄰雞還過短牆來。

繡衣屢許攜家醞,皂蓋能忘折野梅?

戲假霜威促山簡,須成一醉習池回。

(王十七侍御掄、酒を携えて草堂に至るを許す。此の詩寄せ奉り、便ち高三十五使君を邀えて同じく到らんことを請う)

老夫臥穏【がおん】にして朝起きるに慵【ものう】し、白屋寒多くして暖にして始めて開く。

江鶴【こうかく】巧みに幽径【ゆうけい】に当たって浴す、

隣鷄【りんけい】還た短牆【たんしょう】を過ぎ来たる。

繍衣【しゅうい】屡【しばし】ば許す家醞【かうん】を携うるを、【皂蓋そうがい】能く忘れんや野梅【やばい】を折ることを。

戯れに霜威【そうい】を仮りて山簡を促し、須【すべか】らく一酔を成して習池【しゅうち】を過るべし。

朱老 南鄰の朱山人のことであるが、杜甫が成都に来て間もないころから2年ぐらい酒を酌み交わしたりしている。道教の隠遁者であるが、この時は、妻を実家に還し、本人は行方知らずである。梅が熟す季節には、喫食することになっていたのだろう。

松高・阮生論 秦州でニラをもらった阮隠居ではなく建安の阮籍のこと。草堂は竹林に囲まれ竹林の七賢の条件を持っている。松は、筋を東して生きること、松の常緑は白眼ではなく、青眼で気の合ったものの間断を連想させる。

阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。 魏晋の政権交代期前後に、竹林で清談にふけった者たちがいた。後漢の時代に、宦官の政治に反発して清議をなすことが流行ったが、竹林の清談は清議と異なり、政治を論ぜず老荘的な哲学を論じた。その中で、代表的な人々を七賢と呼んだのである。 「晋書・巻四十九・阮籍伝」に次のような一節がある。「 籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之」(籍又能く青白眼を為す、禮俗之士を見れば、白眼を以て之に對す。)気の合った友人と会うと「青目」つまり普通の目で迎え、いやな人に会うと白目を向いたとあるから、好き嫌いを露骨に態度に表す人物だったらしい。人を白眼視するというのは、ここから出ている。

草堂の松について、

『憑韋少府班覓松樹子』

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

(韋少府の班に憑りて 松樹の子を覓む)

落落として羣を出づは欅柳に非ず、青青として朽ちず豈に楊梅ならんや。

存せんと欲するは老蓋千年の意あり、爲めに松根數寸の栽を覓めん。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

この松が「四松」として成長している。

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 

草堂の柴門と木々と位置関係

『田舍』

田舍清江曲,柴門古道旁。

草深迷市井,地僻懶衣裳。

柳枝枝弱,枇杷樹樹香。

鸕鷀西日照,曬翅滿漁梁。

田舍【でんしゃ】は清かな江曲り,柴門は古道の旁にあり。

草深く市井に迷い,地僻にして衣裳に懶く。

柳 げて 枝枝 弱【わか】く,枇杷 樹樹 香しい。

鸕鷀【ろじ】日を西にして照し,曬翅【れいし】漁梁【ぎょりょう】に滿つ。

成都(2)浣花渓の草堂(2 -7) 田舍 杜甫 <370  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1787 杜甫詩 1000- 54

  《破船》

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

(破船)

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ 青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た 已に非らず,野竹 獨り 修修たり。

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數ば 奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

廣徳2764-33-1 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<6641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-6641-948/1500767

草堂における隣人関係

『過南鄰朱山人水亭』 

相近竹参差、相通人不知。

幽花敬満樹、細水曲通池。

辟客村非違、残樽席吏移。

看君多道東、従此敷追随。

(南鄰朱山人が水亭に過る)

相い近くして竹は参差【しんさ】たり 相い過れども人知らざるなり。

幽花【ゆうか】敬いて樹に満ち、細水【さいすい】】曲りて池に通ず。

辟客【へきかく】村遠きに非ず、残樽【ざんそん】席更に移す。

君を看る 道気【どうけ】の多きなるを、此れ従り数【しばし】ば追随【ついずい】せん。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

同じように隣人につぃて

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500

 

杜甫草堂01

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