(渝州で、侍御厳君が来るかこぬかと待ちわびていたけれど、来ないから先に三峡を下って行こうと思うと詠う)聞くところによるとあなたは驄馬で出発されたそうだが、自分は渝州の砂浜の辺津で舟を停泊して待っている。

 
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765年永泰元年54-32 《渝州候嚴六侍御不到先下峽》 杜甫index-15 杜甫<832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4895 杜甫詩1500-832-1150/2500765年永泰元年54-32

 

 

 

年:  765年永泰元年54

卷別: 卷二二九  文體: 五言律詩 

杜少陵集 巻十四

詩題: 渝州候嚴六侍御不到先下峽 

及地點:  渝州 (山南西道 渝州 渝州) 別名:渝     

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

一柱觀 (山南東道 荊州 松滋)     

交遊人物: 嚴武 書信往來

 

 

渝州候嚴六侍御不到先下峽

(渝州で、侍御厳君が来るかこぬかと待ちわびていたけれど、来ないから先に三峡を下って行こうと思うと詠う)

聞道乘驄發,沙邊待至今。 

聞くところによるとあなたは驄馬で出発されたそうだが、自分は渝州の砂浜の辺津で舟を停泊して待っている。

不知雲雨散,虛費短長吟。 

たがいが、舟と馬という雲と雨が飛び散ったように分かれていたことに気が付かないままに、その間を長短の詩を吟じて、空しく過ごしていたのだ

山帶烏蠻闊,江連白帝深。 

考えてみれば、馬で行く山は烏蠻が棲む遠き所まで帯のように連なっており、長江の流れに乗っても白帝山の方まで深く連なっているのである。

船經一柱觀,留眼共登臨。 

自分の船が荊州の一柱觀を通るところであなたの馬を注意深く見て、あなたが到着されるのを舞って一緒に観に登り、眺めようと思っている。

 

(渝州にて嚴六侍御を候するも 到らず 先に下峽をらんとす)

聞道く 驄に乘じて發す と,沙邊 待ちて 今に至る。 

知らず 雲雨の散ぜしことを,虛しく費やす 短長の吟。 

山は烏蠻の闊なるを帶び,江は白帝の深きに連なる。 

船は 一柱觀を經て,眼に留るものは 共に登臨せん。 

 

蜀中転々圖 

『渝州候嚴六侍御不到先下峽』 現代語訳と訳註

(本文)

渝州候嚴六侍御不到先下峽

聞道乘驄發,沙邊待至今。 

不知雲雨散,虛費短長吟。 

山帶烏蠻闊,江連白帝深。 

船經一柱觀,留眼共登臨。 

 

(含異文)

聞道乘驄發,沙邊待至今。

不知雲雨散,虛費短長吟。

山帶烏蠻闊,江連白帝深。

船經一柱觀,留眼共登臨【留滯共登臨】。 

 

(下し文)

(渝州にて嚴六侍御を候するも 到らず 先に下峽をらんとす)

聞道く 驄に乘じて發す と,沙邊 待ちて 今に至る。 

知らず 雲雨の散ぜしことを,虛しく費やす 短長の吟。 

山は烏蠻の闊なるを帶び,江は白帝の深きに連なる。 

船は 一柱觀を經て,眼に留るものは 共に登臨せん。 

 

(現代語訳)

(渝州で、侍御厳君が来るかこぬかと待ちわびていたけれど、来ないから先に三峡を下って行こうと思うと詠う)

聞くところによるとあなたは驄馬で出発されたそうだが、自分は渝州の砂浜の辺津で舟を停泊して待っている。

たがいが、舟と馬という雲と雨が飛び散ったように分かれていたことに気が付かないままに、その間を長短の詩を吟じて、空しく過ごしていたのだ

考えてみれば、馬で行く山は烏蠻が棲む遠き所まで帯のように連なっており、長江の流れに乗っても白帝山の方まで深く連なっているのである。

自分の船が荊州の一柱觀を通るところであなたの馬を注意深く見て、あなたが到着されるのを舞って一緒に観に登り、眺めようと思っている。

 

(訳注)

渝州候嚴六侍御不到先下峽

(渝州で、侍御厳君が来るかこぬかと待ちわびていたけれど、来ないから先に三峡を下って行こうと思うと詠う)

渝州 (山南西道 渝州 別名を渝。現在の重慶市。

候 まつこと。

嚴六侍御 侍御厳君。

下峽 三峡を下ること。

 

聞道乘驄發,沙邊待至今。 

聞くところによるとあなたは驄馬で出発されたそうだが、自分は渝州の砂浜の辺津で舟を停泊して待っている。

乘驄發 驄馬で出発する。元気のよい白(靑)馬。驄:馬青白雜毛也。「驄馬」は、青と白のけの雑じった馬で、御史の乗る馬、御史を指す。これは、後漢の桓典が御史に任命された時、宦官に憚る事無く、堂々と驄馬に乗っていた事に由来する。『後漢書』当該部分を以下に引用する。『後漢書』「桓榮丁鴻/焉孫典」辟司徒袁隗府,舉高第,拜侍御史.是時宦官秉權,典執政無所回避.常乘驄馬,京師畏憚,為之語曰:「行行且止,避驄馬御史.」

 

不知雲雨散,虛費短長吟。 

たがいが、舟と馬という雲と雨が飛び散ったように分かれていたことに気が付かないままに、その間を長短の詩を吟じて、空しく過ごしていたのだ

雲雨散 別離の喩え。高唐賦、「朝雲暮雨」。杜甫は男女の別れと解釈。

 

山帶烏蠻闊,江連白帝深。 

考えてみれば、馬で行く山は烏蠻が棲む遠き所まで帯のように連なっており、長江の流れに乗っても白帝山の方まで深く連なっているのである。

烏蠻 雲南を烏蠻・白蠻・南蛮、に波側につらない異民族の地が連なるという意味。

闊 杜甫は遠いという意味で使う。

白帝 白帝山・白帝城は白帝山にあり、奉節城の4キロメートルの処にある。元名前は紫陽城、前漢の晩期、改名して白帝城といわれ、、城壁の遺跡は今なおぼんやりと見える。

 

船經一柱觀,留眼共登臨。 

自分の船が荊州の一柱觀を通るところであなたの馬を注意深く見て、あなたが到着されるのを舞って一緒に観に登り、眺めようと思っている。

〇一柱觀 松滋県の東、丘家湖の中にあるという、むかし宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな観(てら)を立ててただ一本の柱を用いたという、荊州の名所をあげたものである。観は道教の寺。

杜甫《所思》

苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。

九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。

可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。

故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。

成都(2)浣花渓の草堂(2 -11) 所思 杜甫 <374  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1803 杜甫詩 1000- 550
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